【吉川 洋】 転換期の日本経済
→【討論】
不良債権とマクロ経済
90年代の不況を語る際に、地価下落・バブル崩壊の逆資産効果が働いたという議論がある。たしかにバブル時にはGNPの2−3倍のキャピタルゲインが生じた。これが下落することによって企業の担保力が落ちた、というわけである。
しかし私はこれに次のような反論がある。バブル期の銀行貸し出しの大部分は土地関連投資への融資であった。地価高騰が先にあって担保価値が上がったために企業の銀行借り入れが過大になったのではなく、特定の土地の「期待収益」の上昇によって土地投資が増大し地価高騰がもたらされた。80年代後半から土地集約的なアクティビティ、つまりリゾート開発・オフィス開発などの期待予測がなされ、それによって設備投資が行われた。これで地価が上がり、関連投資も盛んになった。
政府の土地政策によってもこれが後押しされた。四全総—国土計画に、東京が世界の金融センターになる、という文言が、これを特記せよという当時の中曽根首相の強い要望によって入り、これを受けて建設省によるオフィスビルの設備投資予測が強気になされ、リゾート開発も政府部内でコンセプトとしてあって、通産省もこれにコミットし、通称リゾ−ト開発法も新たにできた。こうした政策が誤った期待を助長し、多額の不良債権を生み出す結果となった。官民一体となってリゾート開発を進める必要があるとされ、第三セクターのアイデアが実現した。この第3セクターもバブル崩壊後多くの不良債権を抱えている。
銀行がバブル時代に土地開発に貸し込んだことは誤りであったが、バブル直前あたりから日本全体で東京中心のオフィスビルの供給不足が喧伝され、その建設とリゾート開発が"国是"のようになっていて、それを背景に大々的な開発がなされた。
95年4月の土地基本調査(国土庁)を見ると、今回の土地ブームは従来の土地ブームと比較していくつかの際だった特徴が見られる。まず、中小の未上場の企業によって小さい土地が沢山買われた。
また、地価高騰は日銀の金融政策の失敗といわれるが、資産価格の上昇がただちにマイナスともいえない。「岩戸景気」、「田中列島改造」、「バブル」と、戦後3回段階的に地価の上昇がある。「岩戸景気」の時にもっとも上昇が激しかったが、これは経済の合理性に則った、ファンダメンタルズを反映したものであり、このときに地価上昇を抑えこもうという議論は少なかった。田中内閣の時は金融バブルがその本質であり、地方から大都市まで「全員参加」型バブルであった。
今回のバブルは両面ある。大都市の商業地から地価が上がり始め、やがて低金利の下で全員参加となった。地価がまず独立して上がり始めそれをテコにバブルが起こるのではなく、誤った期待が土地開発とその関連の設備投資を過大にした。
<記録:土田とも子>
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