新花巻からのローカル線、釜石線は楽しい。車窓を過ぎていく木々に手が届くようだ。緯度が高い分まだ春たけなわで、東京から行った私たちは時間を遡ることになる。針葉樹の人工林は多くなく、カエデやミズキ、ホオなどの明るい緑が続く。ヤマフジが紫の房を垂らし、自生するキリの花も目立つ。白い穂状の小花はウワミズザクラだろうか。その輝く新緑を分け、田植えの終わったばかりの田圃を左右に進み、トンネルを抜けて、終点の釜石に着いた。
駅を降りると目の前にドーンと新日鐵の緑の屋根。町の中心地のどこからも見える大きな建物だ。しかしマンガ「とりぱん」に書かれているような赤錆の粉が降るような土地では、今はない。圧延(線材の生産)だけをやっている工場だからだ。中心街にはシャッターの下りた店もある。だが宇野先生の
「予備調査に行って」にもあるように、町は明るい。今回は初夏の季節だからよけいにそう感じられるのだろう。道路はゴミがなくて清潔だし、路地を入ると家々の前は草花の鉢が美しい。
市役所の方々の町おこしの熱意には圧倒された。人口は「鉄の町」として栄えた頃の半分以下、高齢化率は3割を超えるというこの地域をどうやって振興するか。まちづくり、町おこしは多くの地方都市が抱える課題だが、とてつもない繁栄の時代が過去にあったことと、その繁栄のおおもと、鉄鋼生産の中核がもう望めないことで、他地域とはまた違った問題を抱えるという。しかし外からの人の出入りが昔から多かったというこの町の人々の発想は、柔軟で開放的だ。他地域との交流だけでなく外国にも学びながら、多様なアイデアが繰り出され、実行されている。だがその活発なパワーにもかかわらず果実はまだ十分大きく確かではないという。今年開通の仙人峠道路も、うっかりすると遠野の大型ショッピングセンターに人が流れるかも知れない、両刃のやいばだ、とのこと。釜石市内に大型ショッピングセンターを、という住民の声もあるようだが、商店街との関係を考えれば地域振興としては簡単にはいかない。しかし実行に移されているバイオ技術による海洋系サプリメント生産にしろ、キャビアのとれるチョウザメの養殖にしろ、他にないユニークさ、意外さがある。
釜石のNPOの結節点となっている@リアスNPOサポートセンターをお訪ねした。町の市民団体の中でも若い世代が中心になって活動するNPOである。繁栄の時代を顧みていてはいけない、もうそれはないという前提で出発しなくては、というお話を聞いた。若い世代は鉄冷えどころかバブル崩壊後のことしか知らない、この釜石地域の条件の中で回っていく経済を考えることが大切だ、と。このNPOでは、経産省の『地域自律・民間活用型キャリア教育プロジェクト』平成18年度モデル事業に応募して採択され、小学生を対象にCMづくりやマーケティング体験ワークショップを行った。視野にあるのは子供達だ。@リアスNPOサポートセンターに代表されるように、市民は団体でも個人でも様々な分野で活動している。他方繁栄の頃を知る年代を中心に、あきらめの気持ちもあると聞いた。行政頼みに傾きがちだ、とも。
@リアスNPOサポートセンターが委託事業として住民の声を集め、まとめた結果、これからの市民再活性化ビジネスプランの目玉の一つは観光だったそうだ。市役所でも耳にしたが、観光スポットもあるにはあっても、もうひとつ吸引力が大きくないという。オオミズナギドリとヒメクロウミツバメの営巣地として、天然記念物になっている三貫島は上陸できないし、稀少生物もハヤチネウスユキソウのようなわかりやすい魅力のものがない。ダイビングスポットも漁業との関係で難しい、などなど、どれも留保つきで語られた。 しかし国内最大の風力発電の風車を擁するウィンドファーム、町なかにある舟越保武や佐藤忠良の彫刻、安政4年に開発され今でも生きている鉱山、といっても製品は今は鉄や銅でなく、ナチュラルミネラルウォーター「仙人水」なのだが、釜石鉱山など、いくつかのスポットを線で結び、新たなものも加えれば魅力も増す。それも考えられているようだ。風車をエコツアーだけでなくアートと結びつける道もあるだろう。“食”も町おこしの柱になっている。今回幻の鰈、マツカワにはお目にかからなかったが、ウニやホヤの新鮮さはとびきりだ。調査時の参考においしい海鮮のお店もいくつか教えていただいた。
帰途につく日の朝、桟橋付近を回ってもう一度海を見た。巨大なクレーンは棒線の材料を積みおろし、製品を積み出すためのものだ。濡れることが厳禁の材質だから、雨の日はこれまた巨大な、屋根つきガレージのようなものの中に船が入っていって作業する。積みおろし・積みこみ時は強力なマグネットで吸い上げるのだという。近くには製鉄所内の発電用の石炭の山。
沖は、典型的なリアス式海岸だから、岬の突端が左右から迫って見える。その間の海に霧が立つと津波だから逃げろ、と子供の頃に言われていた、とタクシーの運転手さんは言った。そういえばホテルにはどこにもある火事の場合の避難ガイドに加えて、津波のための避難ガイドも置いてあった。
おみやげ店では変わったお菓子を見つけた。その名も「鐵のさと」。卵の入った皮の中に餡とチーズ味のフィリングという和洋折衷のお菓子だ。材料を見るとチーズは豆乳から作ったものだった。これはおいしかった。さらに駅では不思議なものを見た。名産品のショウウィンドウの中である。タンパッキー(蛋白から?)と書いてある、薄色のハムやソーセージのごときものだ。魚肉かと思ったら、これも大豆蛋白から作ったものだった。ヴェジタリアンもOKのハムである。味を試す機会がなかったが、今度行ったらぜひ挑戦してみたい。
希望学調査の下見のために、初めて釜石を訪問したのだが、市役所やNPO事務局で接した方々の熱意が伝わり、釜石のこれまでの努力が確かな実を結ぶことを、心から願う気持ちになった。