「ニートのこと・希望のこと」
玄田 有史
文章を書くときに、今一番気をつけているのは、「誰に読んで欲しいのか」ということです。場合によっては、何を書くのかといった内容以上に、考えたりもします。どんなに面白くないとか、正しくないとか、言われたとしても、その人(たち)が読んでくれて、何かを感じてもらえればそれでいい。そう思って書きます。
誰に一番読んでほしいかを、明確に考えるようになったのは、ある方からいただいたアドバイスが、きっかけでした。たしかに、すべての日本人に読んでほしいといった本は、誰にもインパクトを与えない。誰にでも読んでほしいものは、結局、誰にも読まれないものです。意識の先にはっきりとターゲットが定まっているほうが、メッセージもストレートですし、逆説的ではありますが、結果的に多くの人に届くような気がします。
昨年の丁度今頃、『ニート』(幻冬舎)という本を書きました。それ以来、ニートについて発言する機会も増えたのですが、そのたびに、それが誰に向かっての言葉なのか、自分なりに意識してきました。
ニートは、とてもアナウンスの届きにくい存在です。届くとすれば、自ら情報を積極的に求めている一部のニートか、そうでなければニートを抱える家族なのが、ほとんどです。だから今度発売される『子どもがニートになったなら』(NHK生活人新書)では、タイトル通り、「親」を強く意識しました。
そこでは、実際に子どもがニートになって困っている親だけでなく、わが子が将来ニートになるかもしれないと不安な親もイメージしました。読んでくれた親が、子どもを思うだけでなく、むしろ改めて、自分自身の仕事や働き方に向かい合うチャンスになれば、と考えました。
ニートはそもそも、若者のうち、ごくわずかの割合の問題に、本来は過ぎないのです。それなのに、ニートへこれだけの関心が集まったのは、働いている人たちの多くが、自分のなかにあるニートな部分を感じ取っているからです。そのニート的な部分とは、人間関係の苦しさでもあり、そして未来に対する希望のなさです。
ニートや家族が直面する現実に向かい合いながら、私は伝えることの根本的な難しさを意識せざるを得なくなりました。それは、生きることや働くこと自体に、希望を失った人に、何を伝えられるのか、何を伝えるべきかという問題でした。
働くことに希望が持てないニートは、経済的に貧しい家庭から生まれる傾向があります。しかし、貧しい環境に育った人はすべて希望が持てないと決めつけるのも、まちがいです。希望と社会や経済の関係は、それほど単純な階層問題ではない。貧しい家庭に生まれた人たちは希望が持てないという主張にも、もっと厳密な検証は必要です。
私たちが最近行った20代から40代へのモニター調査の結果では、小学6年生の頃、約7割は将来なりたい希望の職業があったといいます。そのなかで、実際に希望の職業に就いたのは1割にも満たない。しかし一方で、過去にそんな希望する職業を持っていた人の方が、希望がなかった人よりも、結果的に「やりがい」のある仕事に就く確率は、はっきりと高くなっていたのです。
希望は、具体的に特定化されるほど、出会える確率は下がります。その意味では、多くの希望は、失望もしくは絶望を必然的に伴っている。だから若者も、希望なんて持ってもどうしようもない、意味がないと思うかもしれない。しかし、希望を保有すること自体が、個人の思考や行動を変え、ひいては個人と社会の関係を変えていく。その結果、希望を持つという行為やそこから派生するプロセスが、希望を持たなかった場合に得られなかった、より高次の充足を実現する確率を高めるのです。
希望は求めれば求めるほど逃げていく。しかし希望を求めなければ、強い充実も得られない。それが、希望のパラドックスです。カミュはかつて「希望は一般に信じられているのとは反対で、あきらめにも等しいものである。そして、生きることは、あきらめないことである」と言いました。「絶望は虚妄であるように、希望もまた同じだ」と言った魯人もそうですが、希望にまつわる言説は、どこか矛盾に満ちて聞こえます。
だがそれは、矛盾よりも真実なのです。希望がつねに失望を伴いながら、それでも希望が充実の源泉だというのは、希望に関する信念ではなく、希望に関する事実なのです。
そんなパラドキシカルな希望の真実を、希望をもてない個人を念頭に、明確な言葉にしていく。そうでなければニートが提起した希望の在り処という本質的な問題は、何も解決しないでしょう。だからこそ、「希望を社会科学していく」ことを目指した『希望学』に、私たちはこれから取り組んでみようと思っているのです。
注)希望学については、http://project.iss.u-tokyo.ac.jp/hope/を参照。
「この論考は、村上龍氏主宰のメールマガジンJMM(7月8日特別号)に掲載されました。http://ryumurakami.jmm.co.jp/」
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