「偽物の希望」と「本物の希望」
橘川 武郎(社会科学研究所)
昨年7月15日に行われたシンポジウム「希望学宣言!」に参加して、少々びっくりした。当日はもちろんだが、準備過程および事後の反響をも含めた、その「盛り上がり」に対してである。みな、希望について熱く語り、希望学の行方がどうなるか固唾を呑んで見守っている。このこと自体は、希望学にかかわる一員として「喜ばしい」ことである。しかし、本心を言えば、それ以上に「恐ろしさ」を感じる。絶望が深いほど、希望への期待は高まる。希望学への反響が大きいということは、それだけ、現在の状況への絶望が深いことを意味するからだ。
ここで、一つの故事が脳裏をよぎる。
世界大恐慌の荒波にさらされたドイツでは、1933年3月に失業者数が、560万人に達した。しかし、その年の1月に首相に就任したある人物が、高速道路(アウトバーン)建設と国民車(フォルクスワーゲン・ビークル)普及に象徴される経済政策を展開した結果、わずか数年で、失業者数は50万人を割り込む水準にまで激減した。ドイツ国民は、この出来事を、その首相の名前にちなんで「○○の奇跡」と呼んで、称賛した。
問題は、その○○にはいる名前が、アドルフ・ヒトラーだったことにある。
失業克服で人気を得たヒトラーが、その後ドイツを、軍備増強、ユダヤ人迫害、第2次世界大戦の開始と敗北へ導いたことは、よく知られている。それは、ドイツ国民にとって、破滅へつながる道であった。大恐慌下で絶望の淵にあったドイツ国民は、ヒトラーに「希望」を見出し、そのヒトラーに従って破滅するにいたったのである。
ヒトラーがドイツ国民に与えた希望は、「偽物の希望」であった。絶望が深いときほど「偽物の希望」が横行することを、この故事は教えている。
私見ではあるが、希望学の使命の一つは、「偽物の希望」の横行をチェックすることにある。そのためにはまず、「偽物の希望」と「本物の希望」とを峻別することが必要になる。希望学が学問であることの根拠の一端は、この峻別をきちんと行うことにあると言える。
「偽物の希望」と峻別される「本物の希望」の要件は、何か。
その答えは、単純すぎて恐縮ではあるが、(1)目的の正しさと、(2)手段の適切さ、の2点に求めることができる。(1)はWHATにかかわる問題であり、(2)はHOWにかかわる問題である。
WHAT面での説得力とHOW面での説得力の両方を欠いては、「偽物の希望」といえども、成立することは困難であろう。大半の「偽物の希望」は、WHAT面での正しさか、HOW面での適切さかの、いずれかを有している(厳密に言えば、いずれかしか有していない)。
誤解をおそれずに言えば、ヒトラーがドイツ国民に「偽物の希望」を与ええたのは、失業問題の克服やドイツの復興という彼が掲げた目的が、ドイツ国民に対して説得力をもったからである。しかし、ヒトラーが採用した手段には、非人道的で邪悪なものが数多く含まれていた。WHAT面での説得力がHOW面での不適切さを覆い隠し、ドイツ国民は、ヒトラーの「偽物の希望」の罠にはまったのである。
これとは逆に、HOW面(適切な手段の追求)に目を奪われたために、WHAT面(正しい目的の設定)で混迷し、閉塞状況に陥った事例もある。「失われた10年」と呼ばれた1990年代の日本における企業経営が、それである。
バブル崩壊後の不況下で経営危機に陥った多くの日本企業は、企業統治(コーポレート・ガバナンス)の改革に再生への「希望」を見出した。しかし、経営危機を真に克服するためには、企業統治改革だけでは不十分であった。真の企業再生策は、正しい経営戦略を構築することにあった。
昨年12月に刊行された、東京大学社会科学研究所の前回の全所的研究プロジェクトを総括した書物のなかで、筆者は次のように書いた。
「留意すべき点は、制度・統治構造改革が経済・企業再生の必要条件であっても、十分条件ではないことである。(中略)1990年代に日本企業が迷走した原因については、当初、企業統治構造の不備がさかんに指摘されたが、やがて、同じような企業統治構造をとっていても業績に大きな差が生じる同一産業内企業間格差が注目を集めるようになり、最近では研究の焦点が、企業統治構造のあり方から、企業行動のあり方、あるいはそれを決定づける戦略的意思決定のあり方へシフトした。端的に言えば、日本経済と日本企業の再生を実現するためには、企業自身が適切な経営戦略を展開することが十分条件となるのであり、これが、我々が経済危機から学ぶべき(中略)教訓である」(橘川武郎「企業の社会的役割とその限界」東京大学社会科学研究所編『「失われた10年」を超えて I:経済危機の教訓』東京大学出版会、2005年、244頁)。
やや強い言い方をすれば、企業統治を改革すれば日本企業が再生するかのように主張した1990年代の通説的議論は、「失われた10年」からの脱却を希求していた企業関係者に、「偽物の希望」を与えたことになる。そのような議論は、HOW面での施策にのみ企業努力を集中させる機能をもった。ミスリーディングな通説的議論の影響もあって、WHAT面での施策、つまり、正しい経営戦略の構築はおろそかにされ、「失われた10年」の深淵は、さらに深まったのである。
これまで、「偽物の希望」について、いろいろ述べてきた。「偽物の希望」と峻別される「本物の希望」の要件は、WHAT面での正しさとHOW面での適切さとを兼ね備えることにある。希望学の進行過程において、一つでも多くの分野で、「本物の希望」が見出されることを願っている。
橘川武郎 (きっかわたけお) 社会科学研究所教授
専門は日本経営史・エネルギー産業論
紹介ページ:http://jww.iss.u-tokyo.ac.jp/mystaff/kikkawa.html
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