ただそれは、期待といっても当人の意思とは別に、親から一方的に向けられたもので、その思いが双方向ではなかったような気もします。期待以前に信頼できる人間関係があり、家族の期待を感じ、自分もそれに応えたいという互いの気持ちの通い合いがあること。そして、自分がそれに応えるに足る人間であるという自分に対する信頼感があってこそ、期待が希望につながるのではないでしょうか。逆に人間的なつながりがない中での期待は重圧にしかならない。また、「自分は低ヒエラルキーに属している」と感じてしまうその中では希望は持ちにくいと思います。
オウムの場合は、組織的にはピラミッド型にヒエラルキーができあがっていましたが、組織の末端に属する人であっても、ヒエラルキーの最上段に位置する「尊師」、つまり教祖と1対1につながっているという関係になっています。自分がピラミッドのどこにいるかは関係なく、「尊師とつながっている」という確信のようなものがあって、それが彼らなりの「希望」につながってくる。彼らからすると、輪廻から脱するという「希望」を叶えるのは、この「尊師」との関係性しかないわけで、それを失うことはすなわち「希望」を失うことになるわけです。「尊師」に少しでも疑問を抱くことは、その関係性を損なうことであり、だからこそ、指示には疑問を持たず、ただ実行する。そういう中では、教祖に全面的に依存をすることになり、教祖から指示をされれば言いなりになってしまうという面がありました。
ただ、オウムのような「与えられた希望」だけでなく、自らの意思と共にある「希望」においても希望と「他者との関係性」は重要だと思います。人間は一人で生きることはできませんし、どんなに好きなことをやっていたとしても、他者の反応がほしいものです。どんなに好きな音楽をやっていても、誰も聞いていない状況では張り合いがないでしょう?人の役に立ったり、信頼されたり、そのうえで期待されたり、あるいは人を感動させたりしている実感を持つことで、自分の存在意義を感じたり、次のステップへの希望を持つことができます。そう考えたとき、一番「関係性」が分かりやすいのは、「人を助ける」「人の役に立つ」ということでしょう。私は『人を助ける仕事』という本で37人のインタビューをしましたが、医療や介護・福祉の現場など様々な形での「人を助ける仕事」は、当人と他者との関わりが見えやすいと思ったからです。なかなか自分が何をしたらいいのか分からず、ある意味希望を持ちあぐねていた若者たちが、「人を助ける」仕事を通して、自分自身が救われたり、新たな希望をみつけたりする経緯は、聞いていて楽しかったし、読む人にも分かりやすいのではないか、と。もちろん、他の仕事でも生きている実感を感じたり希望を見いだすことはできるわけです。だって、仕事をすること自体が、程度や形の違いこそあれ他者との接点を持つことになるわけですからね。
話は変わりますが、最近の話題でいくと、ホリエモンVS三木谷さんの比較を考えるとおもしろいですよ。例えば、堀江さんがフジテレビを傘下におさめようとした時、私は全国のあちこちで講演などに行くたびに、ホリエモンとフジテレビとどちらを指示するか聴衆の皆さんに聞いてみたんです。そうしたら、地域を問わず、年齢を問わず、刑務所の職員のように秩序維持には重大な関心を払っている人たちに至るまで、圧倒的にホリエモン支持が高かった。一方、三木谷さんの話になると、なぜか多くの人がTBS側に同情したりするんですよね。あの二人の価値観は、多分さほど変わらないと思います。でも、どっちが好きかと言われると、多くの人はホリエモンを挙げる。彼の方がキャラが立っているというところもあるでしょうが、決してエリート街道を突き進んできたわけではなく、一時はニートか引きこもりに近い状態で悶々としていた時期もあるようで、身近に感じられる、という点もあるのでしょう。しかも彼は、ほかの人がやりたくてもやらない、あるいは思いつかないことを平気でやっちゃう。プロ野球のチームを買うとか、作るなんて、夢のようなことを本気でやり出してしまいますね。そういう彼を見ていると、「時代は変わるかもしれない」「自分も変われるかもしれない」という期待感をみんなが持てるのかもしれない。それに、彼の場合、「儲かるか否か」という以外の行動基準があるようです。それは「おもしろいか、おもしろくないか」。選挙に出て、あれだけのめり込むなんて、よほどおもしろかったんでしょうね。儲けのことだけ考えている冷静沈着なビジネスマンなら、ああいうことはやらないでしょう。でも彼はやっちゃう。その辺が見ていておもしろいんでしょう。
球団獲得にしても選挙にしても、彼が挑戦したことはほとんどが負け勝負。そこがまた、いいんでしょうね。ただ、彼が言うことは、その経過が見えずに結論だけがポンと出てくるので、飛躍がある。彼にとっては、実現可能な「希望」なのかもしれないけれど、その経緯が見えない我々には、どこか夢っぽい。特に、最近言い出している宇宙ビジネスなんてそうですね。そういう点では、彼がもたらしているのは「希望」というより「夢」に近いかもしれない。希望には「現実性」が必要だから。実際に現実との距離が近いか遠いかというより、それを受け止める側の感覚として、現実と乖離しているように感じられるものは、夢物語に聞こえてしまう。「希望」を感じるには、現実とのある種の接点というか、つながりというか、地に足がついた感覚というのが必要な気がします。ホリエモンに関していうと、彼は金銭的な点では、非常に現実的ですね。ただ、どうやって儲けるかというゼニカネだけの「願望」は「希望」とはちょっと違うような気がします。