【橘川 武郎】 1990年代の日本社会をめぐって
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【討論】
I.はじめに
戦後日本社会(経済・企業)はどのように自己認識をしてきたか。
第1図〔ホームページでは省略〕は〈先進〉〈後進〉を縦軸とし、〈特殊〉〈普遍〉を横軸として4つの象限を区分した図である。
1950年代は特殊・後進という第2象限、1960年代は後進・普遍という第3象限、1970年代は特殊・先進という第1象限、1980年代は普遍・先進という第4象限に位置する。
50年代——
なぜ日本が戦争に突入し敗れたか、特殊で遅れた日本社会の問題をこれからどう変革していったらよいか、というのがこの時期の主たるイシューであった。この時期にアメリカに行った経営者たちは、その豊かさと経営システムに驚嘆し、そのとき受けたインパクトがその後のソニーや本田の経営と躍進に大きく影響している。
60年代——
ケネディ・ライシャワー路線といわれる、日本社会は遅れているが近代化すればアメリカと同じになる可能性を持つ同質性がある、という日本社会の見方が主流で、近代化論が全盛の時代であった。主な大学に経営学部が出来たのはこの時期である。
70年代——
日本的経営という言葉がキーワードとなり、特殊だがそのメリットが大きい、というように評価が逆転した。日本社会や組織のムラ的要素、イエ的要素などが強調され、プラスイメージで語られた。オイルショックからの立ち直りの早さなどで、西側の優等生と評価されたことが背景にあった。
80年代——
エズラ・ヴォ−ゲルの“ジャパン・アズ・ナンバーワン”が出され、自己認識としても日本的システムは遅れたものでなく先進的であり、世界へ普及させていくべき普遍性を持っている、という評価となった。
90年代——
日本社会は特殊で後進的という、50年代の評価に逆戻りしたかに見える。従来のシステムが機能不全を起こし、混沌としている状態である。
日本社会の危機を見る視角も、研究者によって、(1)遣唐使廃止以来の、日本社会全体にわたるアイデンティティの危機、(2)黒船到来以来の140年ものの危機、(3)1927年金融恐慌以来の70年ものの危機、(4)敗戦以来の、戦後体制の危機(50年もの)、(5)高度成長開始以来の40年来の危機等々、様々で、否定的であることは一致してはいるが、コンセンサスがない。
京都大学の曳野氏によると、アメリカの日本研究者の見方はおおよそ次のようなものである。80年代はアメリカでは日本研究が非常に盛んであったが90年代になるとすっかり退潮した。80年代、日本経済が好調であった頃の評価は、生産現場などミクロ面ではプラス評価であったが、マクロでは当時から市場の閉鎖性などが批判されていた。アメリカと日本はマクロの面で違うが、しかし日本経済のパフォーマンスが良いので、特に問題はない、という見方であった。90年代になると、日本のシステムは間違っている、という評価になった。しかし80年代にミクロの面がプラス評価されていたこととの関係はまだ研究されていない。
いままでの社研の全所的共同研究をみると、戦後改革(1940年代)→ファシズム(1930年代)→福祉国家(1970年代)→現代日本社会(1980年代)→20世紀システム(1950年代〜60年代)という時期が、それぞれ検討されてきた。
今回は同時代である1990年代の日本社会が中心的な対象である。本報告では経済・経営を中心として、混沌とした1990年代の日本社会に関して、新しいプロジェクト研究が取り上げるべき分析の焦点の明確化を図るのが、目的である。
<記録:土田とも子>
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