IV
80年代に入り、ますますウランは値段が下がり(今後2050年までは心配ないと言われている)かつ、プルトニウムは再処理にお金がかかる事がわかり、主要なFBR導入開発国は実施を延期したり縮小する所が増えてきた。90年代以降ではロシア、日本、中国、韓国くらいしかFBRに導入計画を持っている国はなくなってしまった。「日本は燃料サイクルを確立する」という原則によって使用済み燃料をすぐに回収しなければならないが、再処理がおくれているため、使用済み燃料の行き先をどうするかが今後の課題でもある。
90年代に入ると、70年代に決定した再処理政策の結果、プルトニウムはどんどん回収されるが、FBR開発計画の遅れにより、使用されずに余る一方という状況の中、92年のフランスからのプルトニウム輸送は世界から予想以上の反対を受けることになった。
当時、船でプルトニウムを運んだのは約250kであった。原爆を作るのには8kあればできるので、大騒ぎとなった。ちなみに現在の日本のプルトニウムの所有量は5t、ヨーロッパ委託として30tあり、去年はmox燃料として1tを運んでいる。余剰プルトニウムは持たない立場としては国際的な批判のうち、苦しい立場となっている。
現在の世界のプルトニウムストック状況についていえば、米・ロで合わせて約250t、世界の核軍縮で出る余剰プルトニウムは米・ロで100t、世界で在庫として蓄えられているのが170t位、したがって核兵器のストックが250tあって、ほぼ同じ位の量が原子力平和利用として存在することになる。そのうち日本の保有30tは非核国のなかで一番高い。次にドイツが続く。核保有国で民生用のプルトニウムを多くもっているのがロシアとイギリスである。いまや8キロの原爆が何万個もできる勘定になってしまう現状である。
また、95年に起きた「もんじゅ」の事故によって、それまで原子力を歓迎していた福井、福島、新潟3県の知事から首相に対して、原子力政策の「国民的合意形式を望む」旨の申し入れが行われた。これを契機に日本の原子力の中に民主化という風を吹き込む結果となる。それまでは原子力委員会、通産省、電力業界というトライアングルで意思決定が行われていた中に大きなくさびが打たれることとなった。そして「原子力円卓会議」などの形で専門家以外の参加もオープンになっていくきっかけを作った。その後に行われたFBR懇談会においても、座長に専門家以外が設定され、そこで出た結論は、注目に値する結果となった。つまり、それまでの“FBRは不可欠である”という方向から“FBRは重要な選択肢の一つである”という転換が示され、日本の原子力政策に大きな変換をもたらすことになったのである。また、この提言を受けた原子力委員会の決定においても、より柔軟な計画の実行を示唆する形になり、事実上FBR実用化の時期は大幅に遅れることが確実となった。
FBRの開発が遅れるとプルトニウムの需要も先送りとなる。その結果国内や欧州で契約済みの再処理が進むにつれて、在庫量が増加する傾向が明らかになり、プルトニウムの貯蔵コストや劣化、取り扱いも面倒な点の問題解決としてプルサーマルの推進が決定された。(プルサーマル:プルトニウムを既存の軽水炉にリサイクルすること)
ところが、地元の反対があり、なかなか進まない状況にある。ちなみに、地元住民の代表としての県知事の力は強大で、施設誘致の許可、原子力施設の稼動前の許可、何かが起こった時に拒否権も発動でき、つど、県知事の介入ブロックの機会は多い。だから政府と県知事との信頼関係は重要なものとなっている。
一方、使用済み燃料の発生量が再処理能力を大幅に上回ることが確実であり、再処理工場は東海村のみであり、青森六ヶ所村の再処理工場は出来ていないことから、通産省は昨年、法律を改正し、中間貯蔵という形で原子力発電所以外の施設でも貯蔵を認めることとした。しかし、各発電所の貯蔵も数年で一杯になることが予想され(配布資料、表3参照)この問題はエネルギー安全保障上、極めて重要な課題となっている。
<記録:中島美鈴>
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