ヴィクトール・E・フランクル『夜と霧』
「それは、生き延びる見込みなど皆無のときにわたしたちを絶望から踏みとどまらせる、唯一の考えだったのだ」
Viktor E. frankl (1977). Ein Psychologe Erlebt das Konzentrationaslager in ... trotzdem ja zum leben. Kosel-verlag, Munchen.
(ヴィクトール・E・フランクル 池田香代子(訳) (2002).夜と霧 みすず書房)
ある日ある場所で、V.E.フランクルの『夜と霧』の中に絶望とユーモアについての記述がありますよ、という話が希望学プロジェクトメンバーの玄田先生に伝えられた。
以下、『夜と霧』内の、絶望、ユーモア、そしてほんの少しの希望についての抜粋である。
こんなふうに、わたしたちがまだもっていた幻想は、ひとつまたひとつと潰(つい)えていった。そうなると、思いもよらない感情がこみあげた。やけくそのユーモアだ!わたしたちはもう、みっともない裸の体のほかには失うものはなにもないことを知っていた。...(中略)...なぜなら、もう一度言うが、シャワーノズルからほんとうに水が出たのだ......!
(p.24「最初の反応」)
...ユーモアすらあったと言えば、もっと驚くだろう。もちろん、それはユーモアの萌芽でしかなく、ほんの数秒あるいは数分しかもたないものだったが。...(中略)...ユーモアへの意志、ものごとをなんとか洒落のめそうとする試みは、いわばまやかしだ。だとしても、それは生きるためのまやかしだ。苦しみの大小は問題でないということをふまえたうえで、生きるためにはこのような姿勢もありうるのだ。
(p.71「収容所のユーモア」)
かつてドストエフスキーはこう言った。
「わたしが恐れるのはただひとつ、わたしがわたしの苦悩に値しない人間になることだ」
...(中略)...彼らは、まっとうに苦しむことは、それだけでもう精神的になにごとかをなしとげることだ、ということを証していた。
(p.112「精神の自由」)
つまり、強制収容所における被収容者は「無期限の暫定的存在」と定義される、と。
(p.118「暫定的存在を分析する」)
三月三十一日、Fは死んだ。死因は発疹チフスだった。
勇気と希望、あるいはその喪失といった情調と、肉体の免疫性の状態のあいだに、どのような関係がひそんでいるのかを知る者は、希望と勇気を一瞬にして失うことがどれほど致命的ということも熟知している。...(中略)...未来を信じる気持ちや未来に向けられた意志は萎え、そのため、身体は病に屈した。
(p.127「教育者スピノザ」)
この要請と存在することの意味は、人により、また瞬間ごとに変化する。したがって、生きる意味を一般論で語ることはできないし、この意味への問いに一般論で答えることもできない。ここにいう生きることとはけっして漠然としたなにかではなく、つねに具体的ななにかであって、したがって生きることがわたしたちに向けてくる要請も、とことん具体的である。...(中略)...
この運命を引き当てたその人自身がこの苦しみを引きうけることに、ふたつとないなにかをなしとげるたった一度の可能性はあるのだ。
強制収容所にいたわたしたちにとって、こうしたすべてはけっして現実離れした思弁ではなかった。...(中略)...それは、生き延びる見込みなど皆無のときにわたしたちを絶望から踏みとどまらせる、唯一の考えだったのだ
(p.130「生きる意味を問う」)
収容所にはまだ発疹チフスはひろまっていなかったが、生存率は五パーセントと見積もっていた。そして、そのことを人びとに告げた。わたしは、にもかかわらずわたし個人としては、希望を捨て、投げやりになる気はない、とも言った。
(p.137「医師、魂を教導する」)