【大瀧 雅之】 90年代の日本経済とマクロ経済学:市場と組織—相互補完的な秩序—
III.保険機構としての「日本型資本主義」
なぜsunk costを、日本の場合、継ぐようになるのかというインセンティブメカニズムを明らかにしなければいけない。埋没費用を投下することによって何がしかのベネフィットがあると考えるべきだが、sunk costを投下する側からいって何が重要になるかというと、景気ないし外的なショックから雇用を隔離するようなメカニズムを確保しないと、皆、一所懸命働く気にはならないということである。皆、一所懸命働けば、日本の場合には組織の論理で言えば協業の利益があがって実を上げることもできる。それが、おそらく終身雇用制ということであろう。
もうひとつ大事なのは、雇用を隔離するためには平等な賃金というものが必要になる。年功序列賃金というのは二つの側面があり、ひとつは年々賃金が上がっていくということだが、もうひとつは多少、短期的に業績があがらなくても、そのことによって給料が不安定になるという側面がある。実際、日本的な雇用慣行を守るためには、短期的な生産性の変化を賃金に反映させるよりも、むしろ均すようなメカニズムを作っておいたほうがよいと言える。もし短期的な生産性を賃金に反映させると、とてつもない低い賃金やマイナスに近いような賃金を被ることも論理的にはあり得る。そういう場合、協業の利益というものが損なわれ、長い目で見た場合、たまたま低い生産性に直面した人間にもある程度平等な賃金を配分するのも大事であろう。そういう意味での年功序列賃金と終身雇用制は、表裏一体の関係にあって、ともに倒れともに生きるシステムであろう。
質問
協業の利益あるいは組織全体の生産性があがるということは、具体的には賃金が長期にわたって上がると解釈してよいわけか。つまり組織全体としての生産性が上がるということのアプリケーションがよくわからない。
大瀧
雇用を短期的な変動から隔離してある程度平等な賃金を保障することによって協業の利益が内部化されるということである。辞めさせないためには、雇用を景気から守るようなシステムが必要である。そのためのファンドも必要であり、辞めなければ協業の利益が実現できて規模の利益が上がって、その剰余の部分をファンディングするわけである。
質問
一人一人の生産性を合体したものよりも組織全体の生産性があがるというロジックが、いったい何を意味するのか?
大瀧
数理モデルでは、協業の利益であがった収益が労働に還元されるような理論が作られている。
そういう形で、景気変動から隔離した賃金システムおよび雇用システムを作ると、かなり安全に投資できるわけである。sunk costの場合には、いつ辞めさせられるかということが恐怖で、今の日本をみていると雇用環境はそうとうシリアスであるが、sunk costをどれだけ投資するかということにとって重要なのは、辞めさせられるか辞めさせられないかということであり、辞めさせられないから安心してsunk costの投資をすると考えている。
質問
賃金の作りかたというのは色々選択肢があり、例えば職務給でもよいわけであるが、年功賃金が選択される理由というのはどういうことなんですか?
大瀧
ここでは数学的に言うと、短期の生産性をダイレクトに反映させた賃金から比べて、人を抱え込むようにした場合の賃金プロファイルは、より平等になるという意味であり、要するに生産性の低い人を押しとどめるためには、高い人から所得をトランスファーしなければならないということである。そうした保険システムがあると、そうでない場合に比べて所得は平等化する。
日本のシステムでは「保険」という面が資本主義として強く、失敗してもひどいことにはなりづらくて、うまくいってもそれほど大きく成功できないというメカニズムが経済の中にビルトインされていて、それは埋没費用投資というspecific skillsを育成するためのインセンティブの発案である。
その際、保険特有の問題としてモラル・ハザードという問題が生じる。保険というのはリスクから人々をフリーにするという役目がある。従って、人間がリスクに対して不注意になるというのがモラル・ハザードであり、保険には付き物であるが、人事管理の問題としては重大な問題である。ある種平等な賃金を支払うような保険を使ったシステムでは、まじめにやろうがやるまいが、サボるようなことが平然と起きるような危険性がある。従って、社員に対する人事管理ということが、非常に重要になる。しかし、どこの層のモラル・ハザードが重大かということを考えなければならないが、中間管理職は相対的には、まだ安心だが、上から規律付けられない層がいちばんモラル・ハザードが起こりやすく、それは企業の経営陣・役員である。役員は、通常、株式市場および債権者から規律付けられ、いいかげんな経営をしていれば株価が下がって乗っ取りの危機にあって追い出されたり、債務者から首を切られることもある。そういう企業のエクゼクティブの規律付けは、企業内部では果たしえない問題であって、企業の外部から規律付けられる必要がある。この意味で、組織と市場は、どうしても相互補完的にならざるを得なくなる。組織を律付けるためには、市場のメカニズムを使わなければならないことが大事である。株式の持ち合いというのは経営者の訴追を非常に甘くさせるシステムであり、資本市場からの規律付けを阻害させる面がある。
協業の利益は市場の論理とは相容れない。市場だけでは処理できない問題というものがたくさんあって、そのために企業体というものが存在することは不思議ではない。協業の利益を守るためのインセンティブ・メカニズムとして終身雇用制や年功序列賃金があったが、そういうことは保険のメカニズムなくしてはうまくいかないものであり、保険特有のモラル・ハザードの問題が、日本経済には内包されていた。元々、フリー・キャッシュ・フローがあるかないかというのは日本の経済にとって相当重要な問題で、80年代後半は相当大きなフリー・キャッシュ・フローがあって、おかしなインベストメントが行われたと考えるべきというのが当座の理解である。
市場で処理できないような問題を組織によって処理しようとするわけだが、組織をうまく生かすためには、再び円環構造で戻ってきて市場というシステムが規律付けを与えないと経済がうまくいかない。組織と市場は相互補完的な秩序であるというのが、日本のサプライサイドに関する私の考え方である。
<記録:渋谷謙次郎>
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