【大瀧 雅之】 90年代の日本経済とマクロ経済学:市場と組織—相互補完的な秩序—
II.日本の労働市場の特徴と企業の規律付け
80年代の賛美の主導者が90年代の構造改革論者であるということは笑止の極みである。彼らは、80年代に日本経済万歳で、市場をドミネイトするような組織の論理があり得るということを説いていた。しかし90年代に入ると市場をドミネイトするような組織はないということを説いた。市場にわかりにくいような組織が作られているから日本はダメなんだということである。しかし、80年代を前提とした上で90年代の日本経済がどうみえるか、すなわち80年代、90年代をコンシステントに理解できるような論理をくみ上げて研究成果にしようとすることは、経済学では、あまりないと思うので、そうしたことを目的にしたいと考えている。
新古典派およびケインズ派のダイコトノミーと同じように、デジタル思考は学者としてあまり優秀ではない。制度に関してもそうで、景気循環の側面で制度の見え方が変わってしかるべきだろうというのが私の考え方であり、よいか悪いかという白黒の問題ではなくて基本的に多面的に出来上がっているというのが私の理解である。日本的な雇用慣行は、80年代にはすばらしいとされていたが、それは好況時には確かによく映るメカニズムであるが、不況時にはそうではない。システムが置かれた環境によっては機能も変わるし見え方も変わる。
具体的には、日本におけるスキルフォーメーションをとりあえず考えてみようと思う。ここでのキーワードは、三つあって、sunk cost, firm-specific skills, network externalityである。sunk costとは、投入したらそれを継続する限りコストを回収できることであり、特定の組織体において涵養したスキルであるにせよ、その組織体を離れると全く役に立たないようなスキルであり、そういうスキルを涵養するために投下された費用のことであり、そうした費用のことを近代経済学ではsunk cost、埋没費用という。こういうスキルは組織を離れてしまうと意味をなさなくなるので、できるだけその場にとどまり、自分が投資した技術が無駄にならないようにする。それゆえsunk costは行動を保守的にする。このことによって、大雑把にいうと日本の80年代から90年代の雇用情勢をマクロ的にはほとんど説明できる。一度、高雇用状態が実現されると、少々のことでは失業は発生しない。すなわち多少給料が安くなったくらいでは、埋没費用を節約するために多少は我慢する。一回、景気がよくなるとめったなことでは景気は悪くならないし、高雇用状態が維持されるのである。しかし逆に、一度落ち込むと容易なことでは立ち上がれない。高失業率をいったん経験すると容易なことではそこから抜け出せない。
質問
sunk costというのは、いかなる領域でも通じるのか?
大瀧
基本的にはそうであるが、それが組織に養成されたスキルが、firm-specific skillsであった場合、ひじょうにまずいことになる。企業体から抜け出せなくなるわけだから。
いったん縁切りになったら、そう簡単に戻ってこれない、最初からやり直し、というのが日本の資本主義である。調子のいいときは少々のことでは崩れないが、いったん大きな歴史的ショックがあるとそう簡単には回復しない。ただシステムとしては一貫性がある。
質問
firm specific skillsを高めることは、結果的にgeneral skillsを高めることにもなるのではないか?
大瀧
それはきわめてすぐれた人については当てはまる(笑)。人間はそのように教育されることが望ましいが(デューイの教育論のように)、人にも色々あり、程度の問題としては、firm specific skillsでくくれるのではないか。
質問
大瀧さんの言っていることと、「構造改革」論者と、どのように違うのか? 一見、同じようなことを言っているように思われるが。
大瀧
彼らは、いつのまにか、日本が市場にとってわかりづらいシステムを作ってグローバルスタンダードから外れたから、世界から評価されなくなったということを言ったが、しかし私は、かつてのシステムがそれほど非効率なものではなく、景気循環の上下で見え方が違ってくるということを言っているに過ぎない。
質問
中高年層についてはsunk costが回収できていないという想定があるのか、それともだいだい回収できているということなのか。若年層については、たぶんあまり回収できていなくて流動しやすいが、中高年層になると、飛び出しにくいということがあって、しかも世の中をみていると中高年層が切られている。その場合、企業の判断として、もうsunk costを回収したからということで切っているのか、それとも最後の5年間で回収できるから切ってしまうのは日本企業の強さを自らまずくしているのか?
大瀧
まずいかまずくないかということで言えば、企業は45以上の人間は役に立たないということで切っている。僕の同級生をみても本当にしょうもないのもいるし(笑)、学者でもリストラされてもしょうがないのがいると思うが、よいか悪いかは、よくわからない。企業がラショナルな判断をしているのであれば正当なのだろうが、希少な人材を切っているのかもしれないが、それはこれから研究するしかない。ここで話しているのは、たたき台になるようなセオリーであって、それがどのように修整されるかどうかは、まだわかっていない。
質問
sunk costというのは企業が払うのか労働者が払うのか?
大瀧
それはどちらも払うということである。ただ数理モデルを扱う場合、どちらかにしわ寄せしてしまわないと扱いが難しくなるが、現実はどちらも負担していると思う。
質問
企業が辞めさせたいということと、労働者が自分で動きたいというのは別のことだろうが、どういうモデルで日本企業の行動を考えるのか。両者の意向が合致すればよいが、そうでない場合、どちらに費用がかかってくるかによって現状把握が異なってくると思うが。
大瀧
どういう事情で離職が起きるかということは、sunk costの負担の問題が大きく関わってくるが、それが転職の壁になるというのは間違いない。それ以上複雑なことを、きれいな数理モデルで説明することは非常に難しい。マクロ経済学全体にパースペクティブをもって理論を組み立てるとなると、労働市場だけに重点を置くと非常にバランスが悪くなる。あるひとつの側面を取り出すわけにはいかなくて、全体の中でそれをどう位置付けるのかということが理論なので……。
質問
一般的命題でいうと、企業が解雇しやすくなると労働者が移動しやすくなるという話ではなくて、企業と労働者との結びつき固定化するということなのか。
大瀧
いずれにせよ企業からは離れづらくなる。離れづらくなると、いったん大量に雇ってしまうと、多少のことがあってもそれが続くことになる。しかし非常に大きな歴史的なショックが起きたりすると、あとは容易に回復することはない。
質問
オイルショックも大きな歴史的ショックであったが、石油ショックの後の日本のマクロな経済パフォーマンスはよいと言われ、バブル崩壊後のパフォーマンスは悪いと言われた。ショックの性質によって違う結果が出てくるのか?
大瀧
ショックの性質というのは非常に大事で、石油ショックの時は一次産品の上昇ということで、組織ないし政府の失敗が起きたという構造的な問題ではなかったということが重要だと思う。
<記録:渋谷謙次郎>
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