【福沢 啓臣】 グローバル化とドイツの大学改革
→【討論】
III
次に、これらの問題に対して、ドイツの大学関係者および政治家がどのような改革案をもっているのか、あるいは実行しているのか。新カリキュラムが2〜3年ほどまえから認められてきている。BAというのは大学に入学して三年間でとることができる。そこで成績が良かった人は、直接PhD(三年間)にいくことができる。そうでない人はMAという形で二年間行く。優秀な人はBA三年、PhD三年で、六年間でPhDを取得することができる。今のところ、ドイツの大学で350くらいの学科で申請されていて、実際、250くらいの学科でBAによる卒業が認められている。BA資格というものが、ドイツの大学改革の切り札のようにとらえられている。反対する大学人もいるがBAという資格がドイツの大学カリキュラム全体の資格となれば、長い在学期間や少ない国際的互換性をカバーすることができるのではないか。我々、「日本学」がだしたBAについては、自由選択度の低いカリキュラムになって、期末試験に受からない科目が二科目以上あった場合、退学させられるというきびしいものになっている。
規制緩和は、財政的な面で大学自治を拡大して州の文部省のコントロールを少なくするという方向で動いている。決定権の民主化というのは、予算などに関しても、従来は総長などの権限が強かったが、学部に権限をおろすというものである。
私大設立も期待されていて、ビジネススクール的なものが増えている。外国の分校や州の文部省の認可を受けていないところもあり、高い授業料(9千〜1万マルク9をとっても、就職にいいという宣伝などによって、けっこう学生は集まっているようである。ということはドイツの普通の国立大学の評価がそれだけ落ちているのかもしれない。私立大学を認めるということはエリート教育を認めるということになる。能力に見合った教育を受けたいという場合、外国に留学するか、外国の作った分校などに入学する傾向がある。
職業教育としての大学教育というのは、総合大学に関してのことであり(単科大学は純然たる職業教育が機能しているから)、総合大学は研究者を要請するための大学と職業教育としての大学というのが未分化の状態できているから、産業界からはBA資格を導入して職業教育としての資格をとらせて、優秀なものだけを研究者として養成すべきではないかという意見があり、そのような方向で動いている。
大学の評価制度の確立については、学術評価審議会がどういうものか話しておく。1957年に連邦政府と州政府のイニシアチブで設立され、対象が大学および高等研究所であり、予算的な分配も含め評価を生かすものである。学術評価審議会はドイツの学界、大学人にとっても行政側にとっても信頼を得ていて、審議会の推薦や評価は無視できず、むしをそれを積極的に求める方向にある。メンバーは54人いて、32人が学術関係者で、学術委員系を構成する。そのうち24人が学者、8人が一般社会からの代表者である。この32人のメンバーは大統領から任命される。あと、運営委員が22名いて州の代表(文部大臣)や科学長官、6人の連邦政府の代表者がいる。それらの54人のメンバーが年に二回、最高議決機関としての総会を開く。この審議会が出した評価および推薦は、連邦政府や州政府を含めて関係者は尊重しなければならない。例えばベルリン州は4年前から長年大学改革をやってきたが、今年の5月にそれを終えるが、現在、審議会がその評価付けをやっていて、それに基づいてベルリン州は予算を組み、大学もそれを尊重して色々な再編をしなければならない。非常に力の強い機関である。日本でもそういうものができつつあると聞いたが、問題は評価を下した後、それに基づいた予算の反映や裏付けがあるのかどうかわからない。
大学間の競争原理導入は前から言われていることだが、工学部などは専門分野における競争というものが言えると思うが、社会科学や人文科学については、何をもって評価の基準とするのか議論されている明確になっていない。今のところ、カリキュラム通りに学生が卒業しているか、中途退学率がどのくらいか、就職率、大学教授の予算の獲得、論文の数、学生へのアンケートなどが評価基準と言われているが、決め手はないので、州によって実施のされ方が違い、基準は確立されていない。競争原理がなかなか働かないのは、大学はみな同じで高等教育が平等に開かれているといううたい文句があるからでもあり、大学基本法との関わりでいえば、最終的には憲法裁判になるであろう。極端な例を言うと、医学部は1,4という優秀な卒業成績でないと入れないといわれるが、裁判を起こすとたいてい入れる。といのも基本法によって大学入学資格をもっているすべての人が大学に入れるということが保障されていて、それは「基本的人権」に近いからである。ただ、そこまでして無理して入ろうとする人は少ないだけであって、無理して入ろうと思えば入れる。
大学教授の待遇の見直しは、一度教授になってしまうと見直しがないということはいけないのではないかという案も出ていて、例えば大学教授は基本給が8000マルクで評価に応じて上乗せしていくという案もあるが、実現性ということでは、ほとんどゼロに近い。
英語による授業の増大については、経済学や工学関係では英語だけですべて授業をやるというケースが増えている。またベルリンの経済単科大学は、経営学科でケンブリッジ大学と協定を結んで、ベルリンとケンブリッジで半々ずつ授業を受けるということもやっている。
EU内の大学制度統一については、国によって大学の制度が異なっているので国々の特色を薄めて互換性をもたせようということで、ボローニャ宣言ではそれぞれの国々の文部省や大学長が集まってサインした。例えばヨーロッパ単位変移システムEuropean Credit Transfer Systemでは、それに大学が加盟することによって単位の互換性をもたせるものである。EU内には大学生が1千2百万人いて、EU内での留学制プログラム(エラスムス・ソクラテスプログラム)というのがあって、9万人が留学している。EU内の留学が容易になり、多少の生活費補助などが出される。
ドイツの大学にとっての改革の最後の手段は授業料導入である。これが最後の有効な手段と言われる。実現の見通しは、シュレーダー政権のもとではゼロだと思う。政党別にいうと、キリスト教民主同盟と自由民主党は授業料導入に賛成である。しかし社民党と緑の党は反対している。社民党や緑の党の中には、大学基本法に授業料を徴収しないということを書き込むべきだと主張している人もいるくらいだから、もし授業料を徴収しようとする政治家は、一年間くらい大学闘争を経てそれを仕切るだけの力がある人でないと無理だろう。授業料の徴収は、私も有効な手段だと思う。そうすることによって多くの問題(長い在学期間など)がいっきょに解決できるのではないか。大学人の中でもベルリン工科大学のエヴァース総長などは授業料賛成論者で、あと4〜5年もすればそうなるだろうと言っている。だが社民党政権の間は無理だろう。もし授業料を導入しても年間千マルク(6万円くらい)だが、それでも無理だろう。授業料を収入しても、それが税法上、一般会計に入ってしまえば大学には戻ってこないので、それも改正しなければならない。考えられるのは、授業料導入しても、親の収入があまりない場合、育英奨学金を出して社会的に弱い立場の人の面倒をみるという形で可能性はあると思うが、大学と授業料とは相容れないものだと考える人は、ドイツにはまだたくさんいる。学生にとっても授業料というのは評判悪い。
<記録:渋谷謙次郎>
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