【大沢 真理】 社会政策の比較ジェンダー分析
→【討論】
市場と制度(国家)の政治経済学
福祉国家の比較研究はより視野を広げると上記のような分野へ広がることも可能である。
- 比較制度分析による国家類型論
世銀の委託研究「日本の経済開発の経験の普及」の成果の一環として、『東アジアの経済発展における政府の役割について』(青木・金・奥野1997)が出されたが、その中で青木・奥野は「市場拡張的見解」という考え方を打ち出している。
青木・奥野氏によれば、東アジアの経済発展における国家・政府の役割について市場友好的見解と開発主義的国家の見解が対峙してきたという研究状況に対して、世銀は『東アジアの奇跡』で一定の見解を示した。青木・奥野氏は、これではまだ不十分であるとし、市場拡張的見解を出す。彼らは、経済の調整の失敗は理論的な「市場の失敗」よりずっと広範・一般的に存在する、と考え、その理由は市場は不完全であり、情報の非対称性が存在し、人間の合理性は限定的で知識は有限であるからである、としている。青木・奥野氏は、政府は中立的に制度を設計し維持するのではなく独自のインセンティブを持つ内生的プレ−ヤーであるととらえた上で、政府の役割は民間部門による調整を促進し補完する(→市場拡張的)ものであり、従来の市場友好的見解も開発主義的国家の見解も、政府は民間部門の役割を代替する、としか考えていなかった点で一致している、と批判する。
青木・奥野氏らの仕事は、市場の不完全生や限定合理性を入れることによって、複数の経済システムについて「収斂」イメージを排し、生産効率のような一次元的な指標でランキングすることも否定したというところに、意味がある。
しかしこの書物の時点では、明快な理念型と応用可能な指標を伴う類型論を提出できていない。ただ奥野氏がその中で、どうしたら政府の対民間部門の交渉力が強くなるかという観点で、政府のタイプ論を提示しているのは興味深い。
上記の仕事は、比較社会政策論の発展でいえば、第一世代的なアプローチから脱皮しようとしている段階ともいえる。しかし、奥野氏のタイプ論も、最近の青木氏の国家類型論(冒頭)も、分類基準が不明確なままにとどまっている。
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セイフティネットの政治経済学(金子勝)
金子氏は、労働力・貨幣(資本)・土地という本源的生産要素を市場化する上での無理、矛盾が、地域や国民経済に様々な制度ができている根元である、とし、この生産要素市場の入り口にセイフティネットを張るか、出口に張るかで、福祉国家の類型分けができる、と考える。
アメリカと日本の対比
アメリカは入り口では市場メカニズムを最大限機能させるようにし、出口に向かってセイフティネットを制度化している。労働市場では、参入障壁はできるだけ低くし、反独占の論理によって労働組合を企業内に枠付け、社会保障は極小になっている。しかしシニョリティ原則で解雇はルール化され、大企業ではフリンジベネフィットで年金、医療給付があるなど、出口にセイフティネットがある。金融市場では日本のような業際規制などはなく入り口は開かれているが、出口に向かって金利の上限規制と預金保険機構がある。
日本は全く逆で、入り口で、参入するときにコアと周辺にしきりができている(大企業男性正社員か、中小下請けか、女性か)。これによってコアの部分に安定性を確保する制度化が行われている。しかし出口には、雇用調整の自動的ルールなど定型化されたセイフティネットはない。金融市場も業際規制、株式持ち合い、護送船団方式と呼ばれる「秩序ある競争」の調整などが行われるが、経営破綻に対しては定型化されたセイフティネットが存在しない。
金子氏は以上のようにアメリカと日本の対比を行っているが、ヨーロッパ諸国と日本との対比については、労働組合など中間諸団体を媒介項にして年金制度と労働市場の関係性に着目して類型化が可能である、と述べている。
彼の議論は金融(資本)市場のセイフティネットを位置づけているし、土地や労働力再生産についても重視しているから、農業・食糧政策、住宅政策、教育政策を含む包括的な類型論になりうると思われるが、まだアイデアの提示にとどまっている。
<記録:土田とも子>
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