歴史は匿名の多くの人々によって動く。エリート史観は事実と合わない。高度成長達成の源泉は何かを、エリート史観でなく提示したい。
質問者A
大蔵省との関係で、レントがseek出来る、ということそのものが一番問題である。しかしMOF担の人々は一生その部署にあるわけではないだろう。
大瀧
けっこう長くその位置にある。
質問者B
大瀧氏の言う歴史的理解とモデルの優劣を統一的に理解しようとすると、以下のようになるか。大瀧氏の、銀行は企業の経営を審査できる能力がないという前提のモデルと、青木・パトリック氏の、審査能力があるというモデル、の二つがある。景気の変動によってどういうモデルがふさわしいかが変わる——ある場合、たとえば景気がよいときは審査できるという青木・パトリックモデルが適合的で、景気が悪くなると青木モデルは合わず、審査能力がないというモデルが適合する、というだけのことにも聞こえる。
大瀧
銀行はバブル以前から中小企業には資金を貸さず、エリート企業だけに貸してきた。メインバンク理論がいうように本当に審査能力があるのであれば、中小企業にも貸しているはずである。バブル時にソニー、松下などの優良企業が銀行から離れていき、銀行は困難に陥った。中小企業に対する審査能力がないので融資できない。大銀行ほどそうであった。なぜ都市銀行が中小企業にわずかしか融資してこなかったか、という問題にメインバンク理論は答えられない。
質問者C
- 大瀧氏のモデルだと最終的に銀行は貸さなくなって経済はシュリンクする、ということだったが、銀行も利益を上げなくてはならない以上その選択はできなのではないか。
- メインバンクはお金を貸していると同時に最大の株主である場合が多い。これが景気低迷・経営不振の際の、融資する・融資しない、という決定に何か影響を与えるのではないか。
- かつてソニーを三井銀行が育て、松下もそだてた。しかしそれらのような、銀行がモニタリング能力を発揮できる企業が資金を借りなくなり、モニタリングできない企業に貸し始めたので不良債権が積み重なった、という議論がある。メインバンク理論は途中まで機能していて最近機能しなくなった、という議論で、要するに産業構造が変わったということである。
大瀧
(1)不良債権化の危険があればやはり貸さなくなる。国債に投資して国債が値上がりしているのはそのためである。
(3)モニタリングはシステムである。どういうことをすれば産業を理解できるかというノウハウはあるはずで、産業構造が変わっても勉強すれば出来るはずだ。製造業からサービス業へ変わっても基本的には同じである。
質問者D
報告では「現場」へのに関心が低いことがモニタリング能力の欠如と関連する、という言葉があった。それは、長くつきあっているから中身がわかる、というような、経験が重要であるという議論に聞こえる。そうすると産業構造が変わると影響があるかもしれないということになる。
大瀧
現場に対する関心はやはり大事だ。それがあれば変わっても勉強できる。
きちんと現場に関心が持てるかどうかが核心であり、これこそがシステムである。それがあってマクロ情勢も理解できる。そういう人を育てるべきである。
質問者E
やはり途中で変わったということはあるのではないか。70年代後半から80年代にかけて銀行の審査部の機能が変わったといわれている。60年代から70年代前半は銀行に審査能力を持っていた人たちがいて、企業を育てる役割を果たすが、やがてそれがおそらく誤った人事戦略で、別の方向へそれていった。そのころから審査部門に有能な人が行かなくなっている。
質問者F
産業調査部と融資審査部とがあって、前者は窓際的だが後者は機能している。あるいは両者は協力しながら、前者がマクロ的な面、後者が現場という形で機能していたといわれる。
質問者E
審査部の能力は落ちたと言われている。
質問者G
審査能力がなかったにもかかわらず企業は成長したというのが事実ではないか。その事実を分析する必要がある。
大瀧
私のチームでは堀内氏、花崎氏がそういうことの実証分析を行う予定だ。
質問者G
- 橘川氏の言われた、銀行は最大の株主でもあるということは重要だ。バランスシート調整は政府が銀行にやらせているだけでなく、銀行もやらなくてはいけないと思っているのではないか。
- メインバンクの審査能力の欠如という問題はどこまで普遍化できるか。イギリス流の古典的なcommercial bank、アメリカの投資銀行、あるいはヘッジ・ファンド等についてはどうか。かなり普遍化できそうである。
- 金融業界内部のある人の言では、”銀行の経営史というのは書けない。銀行はどこも横並びで、現実に個別企業としての「経営」と呼べることをやっていない。”あるいは他の人によれば、”ある大手生保の社長の最大の仕事は全国を行脚して保険勧誘員と握手して回ることで、「経営」は頭にない”銀行・生保は、モニタリングの能力ばかりか経営というものがなかった、という話である。
大瀧
審査能力が必要ないという部分もある。ホンダやソニーはその例で、仲介業務だけで済む、という部分だ。「知られていない企業」について審査能力が必要になる。審査能力がなくてもいい、というのは、金融機関の種類や目的にもよる。銀行はバランスシート調整は通産省から言われなくてもやっている。しかし銀行が債務調整をしたいと思わないところまでやらせるのが今回の「バランスシート調整」であり、それが問題なのだ。
<記録:土田とも子>