セミナーの記録と日程

全所的プロジェクト研究

第20回プロジェクト・セミナー
過剰債務問題とバランスシート調整

2000年6月27日 ◆於:社研大会議室  ◆司会:松村敏弘
報告:大瀧雅之
コメンテーター:櫻川 昌哉

以下は第20回プロジェクトセミナーの議論の概要である。

【大瀧 雅之】  過剰債務問題とバランスシート調整

I

II

大瀧

 バランスシート調整について。

  • dynamic inconsistency →ことが起きる前に最適である政策と、ことが起きてから事後処理として最適である政策とは一致しない、という理論。
     事前(不良債権発生前)
     事後(不良債権の発生)
     通産省は、少しでも返済してもらう方がよいのだから融資せよ、と主張する。これがバランスシート調整であり、既存の債権を劣後させて新規投資をさせる、という政策である。事後にはそれもあり得るが、それが事前にはねかえると、失敗しても「徳政令」が出るから企業家は安心する→経営規律にゆるみが出る→銀行は当初から融資しなくなる→経済が収縮する。だからこれはとってはいけない政策である。

  • デット・オーヴァーハング・プロブレムのような病理的な現象が起きるのはなぜか。
    それは銀行が企業の経営内容を判断することが出来ないから起きるのであって、銀行に審査能力をつけることが最も重要である。これが私の提示するオルタナティブである。
    銀行にモニタリング能力がないのは今に始まったことではなく、人事のあり方と深く関係している。現場についての興味と深い知識がないことも同様の理由による。

  • なぜ審査能力が育たなかったか。
    銀行では、営業畑など現場で高い地位につく人は少なく、MOF担がエリートコースである。これは護送船団方式と呼ばれる大蔵省の銀行保護行政と深い関係がある。
    大蔵省は戦後一貫して非常に大きなレントを持っていた。大蔵省の認可をとらないと銀行は支店も広げられない。そのレントをseekしてくる係がMOF担である。
    大蔵省からレントをseekしてくることによる利潤が、企業を育て審査能力を生かして得る利潤より遙かに大きかったために、前者が出世コースとなった。
    従って現場を知らず、審査能力が培われなかった。
    デット・オーヴァーハング・プロブレムの存在が、銀行がサブスタンスがなかったことをしめしている。

  • 歴史は匿名の多くの人々によって動く。エリート史観は事実と合わない。高度成長達成の源泉は何かを、エリート史観でなく提示したい。

    質問者A

     大蔵省との関係で、レントがseek出来る、ということそのものが一番問題である。しかしMOF担の人々は一生その部署にあるわけではないだろう。

    大瀧

     けっこう長くその位置にある。

    質問者B

     大瀧氏の言う歴史的理解とモデルの優劣を統一的に理解しようとすると、以下のようになるか。大瀧氏の、銀行は企業の経営を審査できる能力がないという前提のモデルと、青木・パトリック氏の、審査能力があるというモデル、の二つがある。景気の変動によってどういうモデルがふさわしいかが変わる——ある場合、たとえば景気がよいときは審査できるという青木・パトリックモデルが適合的で、景気が悪くなると青木モデルは合わず、審査能力がないというモデルが適合する、というだけのことにも聞こえる。

    大瀧

     銀行はバブル以前から中小企業には資金を貸さず、エリート企業だけに貸してきた。メインバンク理論がいうように本当に審査能力があるのであれば、中小企業にも貸しているはずである。バブル時にソニー、松下などの優良企業が銀行から離れていき、銀行は困難に陥った。中小企業に対する審査能力がないので融資できない。大銀行ほどそうであった。なぜ都市銀行が中小企業にわずかしか融資してこなかったか、という問題にメインバンク理論は答えられない。

    質問者C

    1. 大瀧氏のモデルだと最終的に銀行は貸さなくなって経済はシュリンクする、ということだったが、銀行も利益を上げなくてはならない以上その選択はできなのではないか。
    2. メインバンクはお金を貸していると同時に最大の株主である場合が多い。これが景気低迷・経営不振の際の、融資する・融資しない、という決定に何か影響を与えるのではないか。
    3. かつてソニーを三井銀行が育て、松下もそだてた。しかしそれらのような、銀行がモニタリング能力を発揮できる企業が資金を借りなくなり、モニタリングできない企業に貸し始めたので不良債権が積み重なった、という議論がある。メインバンク理論は途中まで機能していて最近機能しなくなった、という議論で、要するに産業構造が変わったということである。

    大瀧

    (1)不良債権化の危険があればやはり貸さなくなる。国債に投資して国債が値上がりしているのはそのためである。
    (3)モニタリングはシステムである。どういうことをすれば産業を理解できるかというノウハウはあるはずで、産業構造が変わっても勉強すれば出来るはずだ。製造業からサービス業へ変わっても基本的には同じである。

    質問者D

     報告では「現場」へのに関心が低いことがモニタリング能力の欠如と関連する、という言葉があった。それは、長くつきあっているから中身がわかる、というような、経験が重要であるという議論に聞こえる。そうすると産業構造が変わると影響があるかもしれないということになる。

    大瀧

     現場に対する関心はやはり大事だ。それがあれば変わっても勉強できる。

    きちんと現場に関心が持てるかどうかが核心であり、これこそがシステムである。それがあってマクロ情勢も理解できる。そういう人を育てるべきである。

    質問者E

     やはり途中で変わったということはあるのではないか。70年代後半から80年代にかけて銀行の審査部の機能が変わったといわれている。60年代から70年代前半は銀行に審査能力を持っていた人たちがいて、企業を育てる役割を果たすが、やがてそれがおそらく誤った人事戦略で、別の方向へそれていった。そのころから審査部門に有能な人が行かなくなっている。

    質問者F

     産業調査部と融資審査部とがあって、前者は窓際的だが後者は機能している。あるいは両者は協力しながら、前者がマクロ的な面、後者が現場という形で機能していたといわれる。

    質問者E

     審査部の能力は落ちたと言われている。

    質問者G

     審査能力がなかったにもかかわらず企業は成長したというのが事実ではないか。その事実を分析する必要がある。

    大瀧

     私のチームでは堀内氏、花崎氏がそういうことの実証分析を行う予定だ。

    質問者G

    1. 橘川氏の言われた、銀行は最大の株主でもあるということは重要だ。バランスシート調整は政府が銀行にやらせているだけでなく、銀行もやらなくてはいけないと思っているのではないか。
    2. メインバンクの審査能力の欠如という問題はどこまで普遍化できるか。イギリス流の古典的なcommercial bank、アメリカの投資銀行、あるいはヘッジ・ファンド等についてはどうか。かなり普遍化できそうである。
    3. 金融業界内部のある人の言では、”銀行の経営史というのは書けない。銀行はどこも横並びで、現実に個別企業としての「経営」と呼べることをやっていない。”あるいは他の人によれば、”ある大手生保の社長の最大の仕事は全国を行脚して保険勧誘員と握手して回ることで、「経営」は頭にない”銀行・生保は、モニタリングの能力ばかりか経営というものがなかった、という話である。

    大瀧

     審査能力が必要ないという部分もある。ホンダやソニーはその例で、仲介業務だけで済む、という部分だ。「知られていない企業」について審査能力が必要になる。審査能力がなくてもいい、というのは、金融機関の種類や目的にもよる。銀行はバランスシート調整は通産省から言われなくてもやっている。しかし銀行が債務調整をしたいと思わないところまでやらせるのが今回の「バランスシート調整」であり、それが問題なのだ。

    III

    <記録:土田とも子>