セミナーの記録と日程

全所的プロジェクト研究

第13回プロジェクトセミナー

2000年3月21日 ◆於:社研大会議室

1990年代の日本の政治・経済・企業

報告:橘川 武郎・樋渡 展洋・松村 敏弘
コメンテーター:橋本 壽朗・
樋渡 由美(上智大学国際関係研究所教授)・
徳井 丞次(信州大学経済学部教授)

以下は第13回プロジェクトセミナーの議論の概要である。

【大瀧 雅之】  1990年代の日本の政治・経済・企業  →【討論】

<橘川武郎>I.『喪失の十年? 1990年代の日本の企業』構成案

<橘川武郎>II.1990年代の日本をめぐる論点『平成十年版 通商白書』の分析

<橘川武郎>III.構成案修正の方向性

<橘川武郎>IV.とりあえずの進め方

<樋渡展洋>国内政治プロジェクト『喪失の十年?━先進国のなかの日本の政治経済変化』

<樋渡展洋>国内政治プロジェクト『「国際化」・「冷戦」以降━国際秩序の変容と日本』

<大瀧雅之>90年代の日本経済とマクロ経済学

 このプロジェクトの目的は、80年代との比較において90年代の日本経済を整合的に理解することにある。80年代を分析の視野に入れることは、次の意味で重要である。すなわち日本的経営論に象徴されるように、80年代における学会の主流は、日本には世界に希な効率的組織があり、それが市場経済の効率性を上回っているというものであった。

 しかしながら90年代に入り、潮流は大きく変化した。すなわち「規制緩和論者」によれば、市場経済の機能はアメリカ経済の隆盛に象徴されるように、優れたものがあり、日本のように組織の働きに強く依存する経済は、時代遅れとなった。

 このように日本経済への評価は豹変したわけであるが、なぜ日本経済が「時代遅れ」となったかに関する説得的な解説は存在しない。言い換えれば、80年代と90年代を同時にかつ整合的に理解できる枠組みは、現在のところ皆無であるといっても、過言ではなかろう。したがって分析の視野に80年代を含めることは、このようなアドホックで通俗的な「日本経済論」のオルターナティヴズを作り出すという意味で、きわめて重要であると考えられる。そしてそれが、このプロジェクトの目的自身である。

 このプロジェクトの内容は、具体的には、次の三点に集約される。

  1. 金融システム班

    まず第一には、90年代の長期不況の原因を金融問題を中心に据え、分析することである。金融制度を巡る諸規制は、多くの不当なレントを生んできた。この構造は高度成長期以来不変の構造である。より具体的な例としては、Horiuchi and Shimizu (1999) によれば、 「天下り」慣行は、金融機関と監督官庁(大蔵省・日銀)と金融機関のある意味での「癒着」を生んできた。「天下り」というフェイヴァーを官庁に与えるかわりに、検査・考査の基準を何らかの形で緩和させ、銀行の健全経営規制(prudential regulation)を歪めてきた。このような「歪み」は銀行内部の関係者の利益保全・獲得のためになされたが、それは究極的には、不良債権問題という社会的な非効率をもたらす結果となった。

    さらに不良債権問題は、過剰債務問題(debt-overhang problem)を引き起こし、いわゆる「貸し渋り」を通じて景気の回復を遅らせている。この意味で金融システムのあり方と長期不況は密接な関連を持つのである。

    このような金融・景気の連関がなぜ起きたかを詳細に分析することはもちろんであるが、「天下り」慣行に象徴されるレント・シーキングは、無論、今に始まったことではない。寧ろ80年代には、かくの如き慣行が官民協調のメカニズムとして持てはやされていたほとである。したがって「メインバンク関係」、「系列融資」、「天下り」などの「日本的慣行」が、なぜ機能を変質させたのかを分析のもう一つの柱としたい。

    なおこのグループの構成員は以下の通りである。

    • コーディネイター 堀内昭義(東大経済)、大瀧雅之(東大社研)
    • 参加者 小川英治(一橋大商学部)、櫻川昌哉(名古屋市大経済学部)、清水克俊(青山学院大経済)、随清遠(横浜市大商学部)、花崎正晴(日本政策投資銀行設備投資研究所)広田真一(早稲田大商学部)、宮島英昭(早稲田大商学部)

  2. 労働市場班

    終身雇用制、年功序列賃金、企業別組合、に代表される「日本的労働慣行」も、80年代と90年代では、極端な評価の変化があった慣行の一つである。80年代においては、OJTの存在が強調され、「長期的視野」に立って、企業固有の技術(firm-specific skills)を錬成するための優れた慣行であるとの評価が一般的であった。しかしながらその評価は90年代に入って豹変し、能力を的確に評価しない非効率的なシステムであり、崩壊の危機に瀕しているとの声も高い。

    だがこの慣行も、長い時を経て形成されてきたものである。従ってそれなりの経済合理性が存在すると考えられる。ではなぜ、90年代になって、評判が悪くなったのだろうか。この問題に取り組もうというのが、労働市場班の目的である。

    現在のところの大まかなストーリーは以下の通りである。すなわち日本的雇用慣行は、一種のリスクシェアリングシステムであるという考え方に立つ。個々の労働者の短期的生産性のばらつきは、不可避なものである。しかしながらこれらの確率的な変動を賃金に直接反映させてしまうことは、必ずしも望ましくない。なぜならば、低い生産性しかあげられなかった労働者は、基礎的な生活さえ送れないほどの低賃金を甘受せざるを得ない危険があり、それは離職・解雇につながるからである。

    離職・解雇は企業及び他の労働者にとっても不利な事態を招く。すなわち「協業の利益」の実現を通じて、高い生産性を達成するためには、ある特殊な技能を持った他の個人の離職・解雇は、大変不都合なのである。したがって、賃金の変動を緩やかにし雇用環境を安定的なものにすることには一定の経済合理性がある。

    しかしながら、このようないわば保険のシステムには、モラルハザードが付き物である。 つまり上司のモニタリングが機能しないと、同じ給料を貰えるなら、さぼった方が有利というインセンティヴが、労働者には潜在的に存在する。したがって労働者だけでなく経営者へのモニタリングがいかに健全に機能しているかは、このシステムの命運を決定することとなる。

    現在のところ金融機関を含めて、特に経営陣へのモニタリングが90年代ではうまく作動せず、それが当該慣行への評価が変化した一つの原因ではないかと考えている。

    なおこのグループの構成員は以下の通りである。

    • コーディネイター: 吉川洋(東大経済)、大瀧雅之(東大社研)
    • 参加者:石原秀彦(専修大経済学部)、宇南山卓(東大大学院)、作道真理(東大大学院)、櫻井宏二郎(日本政策投資銀行設備投資研究所)、清水方子(4月より東大社研)、徳井丞次(信州大経済)、玉井義浩(東大大学院)、松本和幸(日本政策投資銀行設備投資研究所)

  3. 公共政策班

    公共政策班では、主として二つの問題を扱う。一つは公企業のあり方であり、もう一つは「高齢化」というキーワードのもとで公共投資の効率性と年金の問題を探る。 まず公企業問題についてのアウトラインを述べる。すなわち素朴な規制緩和論者によ れば、公企業はすべて私企業に席を譲らざるを得ない。しかし私企業が独占状態にある とき、行動様式の異なる公企業が存在することには、一定の社会的合理性が存在する。 しかしかと言って、組織の限界から考えて市場全体を支配するような公企業を作り上げ ることにも無理がある。

    このような理論に基づき、現実には一体いかなる公企業が存在すべきなのかを、理論・実証の両側面からアプローチしようと言うのが、ここでの目的である。 次に高齢化のキーワードのもとでの、公共投資の効率性・年金問題についての概要を述べる。すなわち90年代の長期不況のもとで、一部には、従来のいわゆる「箱もの」を中心とした公共投資の拡張を求める声が強い。しかしながら、浅子他(1993)、三井他(1995)、塩路(2000)によれば、公共投資の部門別配分・地域配分は、ともに必ずしも効率的とはいえない。また大瀧(2000)によれば、景気浮揚策としての公共投資も、効率性の基準を同時に考える必要がある。すなわちどうせ支出するなら、民意に適合したものを作らなければならないと言うわけである。そこで従来の手法を活用し、高齢化に適合した公共投資は如何にあるべきかを、計量経済学的に分析しようと言うのが、一つの目的である。

    さらに高齢化の問題は、言うまでもなく賦課方式による年金問題と密接に関連している。 しかしながら制度が錯綜しているために、現在のところ、年金の理論と現実の制度がもつ問題がうまく対応していない。そこで制度をクリアーに解剖・解説し、それを理論的に整理することが、まず大きな課題である。

    加えて年金問題は、日本的雇用慣行とも関連している。すなわち年功序列賃金は、中・高年齢層に対する一種の賦課方式による私的年金であるという見方が存在する。このため若年労働人口が減少するこれからは、そのような制度は存続が難しいとの有力な主張も存在する。企業年金のあり方を検討することで、このような労働市場と年金の関係というより広い視野から問題をとらえられるのではないかと考えている。

    なおこのグループの構成員は以下の通りである。

    • コーディネイター: 三井清(明治学院大経済学部)、松村敏弘(東大社研)
    • 参加者: 浅子和美(一橋大経研)、井潟正彦(野村総研システム室)、塩路悦郎(横浜国大経済学部)、土井丈朗(慶応大経済学部)、随清遠(横浜市大商学部)、照山博司(京都大経研)、福田慎一(東大経済)、村瀬英彰(名古屋市大経済学部)、両角良子(東大大学院)

松村敏弘

 大滝氏が在外研究中のため代わって少し考えを述べたい。  私は80年代と90年代に同じくらい関心がある。  本当に日本システムは80年代にうまく機能していたのかどうか、90年代には本当にうまく機能していないのか、というところを出発点にしなくてはならないのではないか。

  1. 本質的に日本的システムはもともとうまく行ってなくて、ただ80年代にはうまく行っているように見えたという考え方もある。しかしこの時代に膨大な、日本的システムを賞揚する学術論文が出版された。あの議論はそれなりに正しかったのであろうが、今から見て間違っているのであれば、どうしてそういう間違いを犯したのか。なぜうまくいっているように見えたのか。
  2. 本質的には日本的システムはうまく行っていて、90年代にも実はうまく行っている、市場原理主義者が言うとおりにしていたら今よりもっと大変な事態に至っている、この程度で収まっているのは日本的システムであるためだ、という考え方もあり得る。この場合は90年代にうまく行っていないように見えるのはなぜか、を解明しなければならない。
  3. かつてはうまく機能したが今後は機能しない、というもので、この考え方はずっとかなりある。政府主導の産業政策は戦後復興期にはうまく機能したが低成長期にはうまく機能しない。この考え方はその時代その時代でそれぞれに言われてきた。グローバリゼーションが進んで、その結果日本的システムはうまく行かないのであれば、かつてなぜうまく行ってこれからうまく行かないのかを理論的にも明らかにしなければならない。
  4. 景気循環のある局面、たとえば80年代は日本システムがアドヴァンテイジを持っていて、別の局面、たとえば90年代は日本システムがディスアドヴァンテイジを持っている局面である、というもので、大瀧氏が過日のセミナーで言われたことである。 こんごも日本的システムうまく行く局面やうまく行かない局面が循環的にでてくる。これも、どうしてこのようなことが起きるかを理論的に明らかにする必要がある。

 ㈰〜㈬までの可能性はすべてある。どれも正しい部分があるだろう。プロジェクトとしてはどれかが正しいかということを出発点とせずに、それぞれの問題ごとに、なぜ80年代にはうまく行くように見えて90年代にはうまく行かないように見えるのか、そのメカニズムは何なのかを、ステップ・バイ・ステップで解明していくことが必要である。

 1金融システムと2労働市場についてはおそらく上のようなスタンスで検討していくだろう。

3公共政策

 大瀧レジュメでは、80年代の日本の金融システムのところで、官と民との癒着といった関係はうまく機能していたと思われていた、と書かれてあるが、日本の経営や生産のシステムが賞賛されていた時期も、日本の政治システム、公共システムについては賞賛されていたとは言えない。だから、日本の公共システムを変えなければならない、という議論はずっとあり、それが最近では市場原理主義的な方向での変革が必要だということになっている。ここで1や2と関係してくる。

 80年代は、新古典派的世界と違う経済システムがあると考えられ、その違ったシステム、日本的なシステムが盛んに賞揚された。いま揺り戻しがあって新古典派的システムのほうがうまく行っている、と考えられている。しかしこと公共システムに関しては、新古典派的、市場原理主義的な考え方に対比できるシステムを良いとし、それを理論的に検証するという蓄積もまったくない。この意味で1.2と比べると遅れている。何でも民営化、規制緩和すればよいという素朴な考え方は厚生経済学の第一ステージであり、それに対してそれだけではうまく行かない、という理論的な分析はほとんど進んでいない。そこから出発しなければならない。

 規制緩和、民営化について正反対の考え方をする人々は、しかし共通に、それらがほとんど失敗であった、という認識を持っている。一方は、民営化、規制緩和を叫んでいろいろやったが何も効果はなかった、規制緩和では効率的な社会は作れない、という考え方、他方は、規制緩和が不十分なので効率的な社会ができていない、という考え方である。公的セクターの改革というとき、唯一成功と見られているのが国鉄の分割民営化で、だから郵貯も同様に民営化すべきだというのが今の主流の考え方だ、という認識は本当に正しいのかどうか。国鉄分割民営化がうまくいった、という論拠は、かなり素朴な体験から普遍的な結論を導いているのではないか。郵便小包は民間の競争相手ができて料金も下がり内容も良くなったことなどを見ると、分割民営化が唯一の手段ではないのではないか。こういうあたりを出発点に、公的セクターの民営化や規制緩和の問題を検討していく、というのがこの「3.公共政策」のねらいである。

他プロジェクトとの関連

橘川プロジェクト
 官民協調、官によるコントロールが最後まで効いていたのは金融だけである。他の産業分野はかつては政府の産業政策が大きな役割を果たしたといわれていたが、実際はそれほどではなかった、というのが共通認識になりつつある。従ってここは金融に限定される。

大沢プロジェクト
 3は大沢プロジェクトと関連する領域ではあるが、われわれのところでは社会政策ではなく基本的に経済の範疇のことに限定して、経済合理性から考えるとこうなる、という議論をする予定である。

中村(圭)プロジェクト
 労働市場のところでは企業の内部労働市場を念頭に置いている。マネージメントに対するガヴァナンスをここでかなり綿密に検討しようと考えている。ここでは中村プロジェクトのほか橘川プロジェクトとも関係してくる。

司会

 政治は沢山の所外メンバーが参加の表明をして論文構想が出され、すでに走り出しており、企業プロジェクトはそれに対して少し遅れて出発したいとのことであった。大瀧プロジェクトは所外メンバーの名前がたくさん挙がっているが、進行のめどはどうなっているか。

松村

 規制緩和、民営化では松村、村瀬、随、マクロ的な面、公共投資などは、どういう分野に投資されてその結果地域間格差の解消にどういう役割を果たしたか、今後投資をするとしたらどういう分野にすべきか、などをやる。中身がある程度見えている。

 1.2.は大瀧氏がいないとわからない。

橋本寿朗氏、樋渡由美氏、徳井丞治氏によるコメント

<記録:土田とも子>