㈰プロジェクトの名称 「1990年代の日本と世界」について
○今回は従来のような一つのタイトルを全体にかぶせる必要はないのではないか。違った形態と方法でやっていくという合意はこの中でもできているのではないか。 書物についても、コアプロジェクトでまとまりを持った本を作るかという議論を3人でしたとき、少なくとも3冊ぐらい総論的な巻を作るか、序文か何かでプロジェクト研究の一部と明記するにしても各チームが全く独立に出すかで、まだ決着が付いていない。
○背文字をつけコーティングした上質の表紙のディスカッションペーパーを随時出していく。配布の範囲はある程度広く考える。その中で議論が進んでいくようなものが望ましい。成果について従来のような6巻以上のシリーズ本を考えるとそれが制約要因にもなり、時代にもあっていない。 各チームともディスカッションペーパーを出していく中で、問題意識を共有して練り上げたものが書物になる場合もあるという方がよい。 問題は、社研として文部省なりにシリーズ本を刊行して全所的プロジェクトをアピールする必要があるとすると、すでにある程度走り出しているグループが別の形で成果を出そうとしているのに枠をはめるような事態になりかねない。その調整をどうするか。
○「1990年代の日本と世界」というのは野暮ったいが、あまり意味が特定されていなくて包括的なので、今回のような形態を横断する呼び名としては許容範囲ではないか。これはあくまでも書物のタイトルではなく便宜的な名称である。
㈪プロジェクトセミナーの運営について
○従来の全体研は全体と分科会と分けていた。分科会は個々の班が当該のテーマについて、やや狭くインテンシヴに議論する、全体会は各班にまたがる問題について問題意識を共有し、個々の班にもそれを反映させる、という目的である。
○コアと連携の話など編成の問題もある。全体の構成を所内でもっと議論してかためていこうというものを全体としてやる。プロジェクトセミナーを回数多くやるという話も以前出たが、あまり多くなるとメンバーが出席するだけでも大変になる。全体会と分科会に分けた方がよいかもしれない。
○全体に笠をかぶせるという役割をプロジェクトセミナーに持たせたい。各チームから共通性があってしかも面白い問題を持ち寄り、プロジェクトセミナーとして企画するとよい。同じ表紙のディスカッションペーパーを各チームが出す、というのも問題意識を共有したり、外から見て緩いまとまりを持った共同研究だということがわかるという意味でよい。
○完成品でなくとにかくここまで進んだというものを随時表紙をつけて出すということに意味がある。
○我々のチームはすでにホームページを立ち上げた。これからワーキングペーパーが出た段階で逐次載せていき、みんながアプローチできるようにする。
○紀要にも同様の役割を持たせる方向で行く。
○私のチームでは、2,3ヶ月に1回ラテンアメリカ・東欧・アジアの研究者が集まって、イシューを持ち寄りイシューごとに議論してもらう。 その際、中川チームも一緒にやるが、フェラス氏は、上記の地域だけでなく日本の経験も比較の中に入れたい、議論の俎上に載せたい、といっていたので、日本中心にやっているチームからコメンテイターを出すよう依頼する、などのことを考えたい。
○私のチームは新年度はまず、このテーマだったらこの人に訊きたい、という人をモニタリングして選んで、セミナーに呼んで話をしてもらう。
社研の行政的な判断として、どの程度プロジェクト研究の成果について要望があるかまだわからない。それぞれのチームが果実を出したあとに、各チームを横断するような2,3冊のものを出す、という意見もあるがはっきりしていない。
○議論がどのように進んでどんな結果が出せるかにもよる。紀要にも特集を組む予定だというわけだし、実のあるものが出来ればそのエッセンスを本にするというのも一つの案である。
○一番重要なのはプロジェクトセミナーでもこの委員会でも、束ねる人としての委員がちゃんと出席して議論をするということである。
○コアで問題意識を共有する議論も、今までで十分ということでなく、たとえば「自由化とは何か」などの重要なテーマを選んで議論することもまだまだ必要だ。
そのテーマに誰を当てはめ構成を考えるということでなく、中身にはいった議論である。先日の松村氏が言われたように、今まで言われていたものを、新しい考え方で切ってみる。 私の対象で言えば、「東アジアの奇跡」は間違っていたのか、という問題など。今世銀は「『東アジアの奇跡』の見直し」を言っている。日本の80年代と90年代を連続的に見るにはどうするか、と共通の問題がそこにはある。
○私のチームでもまだ具体的にそれぞれのメンバーの成果が出てくる段階ではない。それまでにどう研究会を重ねていくかを考えている。末廣氏の、まず重要なテーマを取り上げて議論するというのも一つの方法である。
○社研がプロジェクト研究として対外的に、いつ頃、どのような形で、成果を出すべきかというのはまだはっきりしていない。
○たとえば独法化してしまったとき、求められる研究所の役割として、所内と東大内のリソースを適材適所で投入して成果を出す、というのと、優れたコーディネイターとして国際的に多くの研究者を組織していく、というのと2種ある。どちらがいいのかはまだよくわからないが、このプロジェクトの方向は、今のところは学内他部局のリソ−スを使うというより、後者の、国際的にコーディネートしていく方向が、従来に比べれば強い。
○従来ともっとも違うところは国際的なネットワークを重視しているところだが、大瀧・松村グループでは経済学部とほとんどジョイントで進めるような形だから、前者の性格もないわけではない。
○70年代の行政改革の時は「充足率」が重視され、内部の研究者が5割以上でなければダメと言うことであった。今は後者になってきているのか、そのあたりがわからない。
○わからないが学内の経営懇が出してきた方向というのはどちらかというと前者だった。学内のネットワーク的な機能を期待されている。これとは別に国際交流という役割も課せられているが。しかし経営懇の報告は独法化対策とは別である。 最低限紀要やディスカッションパーパーで対外的に成果を示さなくてはならないということはあると思う
○まとまった大部の書物のシリーズは今更無理である。各グループの意思統一も無理だし。私は後者の役割、オーガナイズすることは研究所の役割として非常に重要だと思う。
○学部・研究科はオーガナイズできない。私はアメリカのいくつかの有力大学でテーマを決めてプロジェクトを立てているのを参考にしつつ、それに対抗できるものを、と考えている。
○結果として両方をカヴァーしていると思う。ただ、プロジェクト研究だけで研究所の存在意義を担うことは無理である。いくつかの一つと考えなくては。
新年度早い時期に、従来の全体研とは違う今回の形態や方法、考え方などを委員会から報告して合意を得る必要があるだろう
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