Wilenskyというと、たいていの人は『福祉国家と平等』の1〜2章だけ(あるいはEsping-Andersenによる矮小化気味の紹介だけ)を読んで、「産業化が福祉国家の成長をもたらす」という結論だけを記憶しているものですが、じつは意外と奥が深いようです。新著でも「産業化が福祉国家の成長をもたらす」という命題は基本的に変更されていませんが、「その現われ方は各国の政治制度──コーポラティズムの形態──によって異なる」とされています。ここまでは旧著と大体同じですが、新著ではさらに、「コーポラティズムの弱体な国では大衆社会化が進む」という命題が加えられています。大衆社会論そのものは昔からあり、Wilensky教授は空軍パイロットだった19歳の頃にそうした問題意識をもったそうですが、それを1980年代以降の福祉国家衰退の解釈に適用したところが新鮮です。これを日本の現状にあてはめると、「抵抗勢力」(弱体な「労働なき」コーポラティズム)vs「小泉首相」(大衆社会化の波頭の上のポピュリズム)という構図が思い浮かびます。そこで、大衆社会化と福祉国家衰退を阻止するために抵抗勢力を応援すべきなのかどうか、Wilensky教授に聞いてみたいところです。
さて、この大著を、われわれの課題である「東アジア諸国の福祉システム構築」の研究にどう生かすか。産業化論とコーポラティズム論と大衆社会論を総合した理論図式そのものは、ごてごてしていて真似する気にはなりません(もっとも、東アジアはEsping-Andersenの3類型のどれにあてはまるか、といったなぞなぞ遊びに興じるよりは、Wilensky理論の大きな構えに学んだほうがよいかもしれませんが)。むしろ、われわれが見習うべきは、自前の観察(統計分析だけでなく、15か国400人以上の政治家・官僚・労使代表にインタビューしたという)、自前の理論化(上記の理論図式の肉づけ)、自前の政策提言(アメリカ例外主義に対する愛国的批判)を結びつける力量のほうではないかと思います。アメリカ社会に資するための比較研究から、その理論図式だけを拝借してきても仕方ありません。もちろんそれに大いに学びつつも、東アジア発の理論・観察・政策を出していく必要があるでしょう。Wilenskyの大著につられて大言壮語を吐きましたが、20年後の東アジアで、これに匹敵するような自前の比較研究が蓄積されているかどうか──それは、われわれの心がけにかかっているのではないでしょうか。
なお、物好きとは思いながら、Wilensky教授の年譜を作ってみたのでお目にかけます。社会学者のライフコースの美しい範例を示しているのではないかと思いました。ちなみに、Wilensky教授のインタビュー・ビデオを、カリフォルニア大学バークレー校のサイトで見ることができます。お時間がありましたらぜひ御覧下さい。それではまた。
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