研究目的

本研究は、比較福祉国家研究の射程を飛躍的に拡充することを目指す。すなわち、従来の比較研究では、データの制約もあって、研究対象を社会保障と社会福祉サービスに限定し、しかも分析の単位を家族または世帯とするものが多かった。しかし、労使関係システムと雇用政策はもとより、税制、家族のあり方、教育、住宅、環境、農業・食糧などの保障のあり方も、福祉国家の質を構成する重要な要素であることは、論を待たないと考えられる。また、従来の政策論が家族または世帯のニーズや利害を事実上男性世帯主のそれで代表させてきたことも、政策の有効性を深刻に損なうジェンダー・バイアスとして批判される。政策が暗黙のうちにも前提し依拠する世帯や職場のジェンダー関係を分析の軸に加えてこそ、日本福祉国家の特徴を解明できることは、近年の端緒的な研究から明らかになっている。

 1980年代以降は先進諸国の「福祉国家の危機後」、「福祉国家の再編期」とされ、各国でさまざまな改革が模索されるとともに、比較社会政策研究の飛躍的な発展を見た。各国の政治経済が経済成長や人口高齢化に伴って類似の福祉国家に収斂していくとする機能主義的な「直線的(linear)」アプローチは有効性を失い、福祉国家類型論に代表される政治的要因重視アプローチが展開された。しかし、日本については、その福祉国家の規模ではなく質を問いつつ国際比較的に位置づける議論は、アカデミズムでもポリシーメーカーにおいても乏しかった。国家か市場か、大きい政府か小さい政府かという、冷戦型の2分法的思考が、依然として日本の政策論議を縛っており、政策的選択肢を狭め続けている。

  そのため1990年代の日本の福祉国家改革は、対症療法的でパッチワーク的なものに終始した。96年末から97年初めにかけて打ち上げられた「橋本6大改革」(行政改革、財政構造、経済構造、金融システム、社会保障構造、教育の各改革)のうち、2000年までに一応の結果が出たといえるものは、行政改革(中央省庁再編と地方分権)、および経済構造改革のうち雇用・労働の規制緩和である。雇用の規制緩和は、景気が低迷するもとで「雇用流動化」を加速し、雇用不安を煽ることによって、国民の将来見通しを暗くし、デフレ・スパイラルを強めることにもなったと推測される。

他方で社会保障については、将来の財政危機を強調しつつ肝心な改革が先送りされていることによって、国民の将来不安が煽られ、かえって少子化スパイラルが加速するとともに、やはり不況を長引かせることになったのではないか。たとえば年金制度では、支給開始年齢の引き上げや賃金スライドの方式改訂によって給付が切り下げられ、拠出は引き上げられてきた。医療保険制度の抜本改革は典型的に先送りされてきた。97年には曲がりなりにも「介護の社会化」を掲げる介護保険法が制定されたとはいえ、周知の実施直前の改変により、理念と制度の根幹を大きく侵害されたところである。そもそも介護保険法制定の伏線というべき動向、すなわち89年に策定された「ゴールド・プラン」から、94年発表の「21世紀福祉ビジョン」、94年12月策定の新ゴールド・プランなどは、80年代の「日本型福祉社会」政策からどれほど離脱したといえるのか。

 さらに、土地・住宅政策においても借地・借家法が改正されたが、これが期待されたように宅地・住宅供給を増加させえるか否かについて、実証的な研究が急務である。環境保障、農業・食糧分野においても、国民の安全と福祉を維持向上させるうえでの課題が山積している。

 90年代は果たして日本福祉国家の再編にとっても「失われた10年」だったのだろうか。諸外国での福祉国家の近年の動向についても種々の仮説があり、活発な研究が行われているが、日本を本格的に位置付ける研究は乏しい。本研究は、80−90年代の諸国の福祉国家再編の質と方向を明らかにすることによって、日本での制度いじりの特徴(意義と限界)を改めて浮き彫りにしたい。本研究は、韓国を含む主要OECDメンバー国を対象に、家計構造、企業福祉、非営利協同部門などを含む総合的な比較福祉国家分析を、ジェンダー視角を組み込みつつおこなうことを目指す。