90年代の日本経済の低迷は2000年以降も続き「失われた10年」が「失われた20年」になろうとしている。この低迷には多くの原因があるとしても、その最大のものが「金融の機能不全」と「公共部門の非効率性」にあることは、疑いもない事実である。
この二つの問題に関し、90年代以降のみでなく、日本経済・日本的経営・日本の諸制度が賞賛されていた90年代以前をも視野に入れながら、その原因を探り、なぜ90年代に日本経済が機能不全に陥ったのかを明らかにし、更には2000年代を「失われた20年」にしないための処方箋を探るのが本研究班の目的である。
日本経済の低迷の処方箋に関しては、ゼロ金利政策、インフレ・ターゲット論、減税政策などマクロ経済学的な政策の評価・分析・提言が数多くなされている。現在のデフレがマクロ的な現象であることは疑いないが、金融をはじめとする諸制度の機能不全の問題がマクロ政策だけで解決するとは考えられない。
日本の金融制度の機能不全の原因として、
(1)銀行等の金融仲介機関のパフォーマンスの悪化、
(2)銀行を中心とした間接金融中心の仕組を代替すべき直接金融の発達の遅れ、
(3)公的金融機関の肥大化、の3点がしばしば挙げられる。
しかし、日本の民間銀行は、かつては日本経済の良好なパフォーマンスを支える重要な役割を果たしているとされ、「メインバンク論」として、理論・実証の両面からこれを裏付ける研究が数多く存在する。なぜほんの10年ほどの間に日本の民間銀行の評価及び実際のパフォーマンスがこれほど悪化したのかに関して、説得力のある研究は極めて乏しい。日本の銀行制度に問題があるのなら、なぜかつてはうまく機能したのか理解できない。「制度疲労を起こした」と言うだけでは、現実を追認しているだけで何も説明していない。本研究では応用ミクロ経済学的な観点から、とりわけ「産業組織」の分析手法を用いて、日本の諸制度の機能不全の問題を再検討する。
日本の金融制度の問題に関しては間接金融の中心的な役割を果たす民間銀行の機能不全を起こした原因を探る。俗説として「日本の銀行はバブル期に土地担保融資に傾斜し、融資の際の審査能力を失った」と言われている。本研究では、バブル期の不可逆的な構造変化の有無あるいはどのような構造変化があったのかを多面的に研究する。また、この俗説が正しいとしても、理論的にはバブルが必然的に土地融資に傾斜した経営や審査の喪失を生むわけではない。多くの銀行が一斉に機能不全に陥るメカニズムを理論的に明らかにし、これを基に日本の銀行制度の再生(短期的な危機回避ではなくパフォーマンスの向上による長期的な機能の回復)の方策を明らかにする。
金融機能の回復には、銀行を中心とした間接金融の再生だけでなく、証券市場を中心とした直接金融の発展が不可欠である。その直接金融の発展のために、証券投資に伴う利益の優遇税制の導入が議論されている。しかし、そもそも何故証券投資を優遇すべきかを明らかにしなければ、望ましい制度改革の議論は不可能である。更に、最近の制度変更以前は(源泉分離課税の)株式売却益課税や少額配当に対する課税は預貯金の利子に比しても不利とはいえず、税制が原因で証券市場の発展が進まなかったという議論は説得力に欠ける。本研究では、直接金融が「過小」な役割しか果たせていないとすればその原因は何かを、税制のみならず、会社法・証券取引法・証券取引所ルール、行政の通達等の投資制度を支えるルール全般を視野に入れて、総合的に明らかにする。
更に、金融機能不全の原因を公的金融部門の肥大化に求める議論についても詳細に検討する。公的金融機関については、高度成長期あるいはバブル崩壊以前にはその役割を高く評価する数多くの実証研究が存在した。この点では、民間銀行と同様に90年代前後に評価の大きなギャップが存在する。公的金融機関の果たすべき役割はそもそも何で、現在ではその意義がなくなったのか、公的金融機関の民営化あるいは廃止によって日本の金融システムは再生するのか、という重要な問題に関する理論的・実証的な分析は極めて乏しく、「民間にできるものは民間に」というスローガンだけが独り歩きしている。本研究では公的金融機関の存在と金融の機能不全の関連を、バブル崩壊以前からの公的金融機関の変遷をとらえながら明らかにし、あわせて民間銀行の国有化の影響も分析する。
公企業の民営化の問題は、道路公団や郵便事業など非金融機関の問題も重要である。これは官(公)と民(私)の適切な役割分担という重要な問題を含んでおり、また同時に規制改革の一環としての側面も持っている。本研究プロジェクトでは、公企業の民営化や公と私の役割分担の問題を出発点として広く規制改革の問題を産業組織の観点から分析し、日本経済の停滞の一因でもある非効率的な規制の姿を明らかにし、望ましい規制体系について研究する。
公的企業の民営化、公と私の役割分担の問題は財政をはじめとする公共システムの研究とも直結する。「第2の予算」とも言われる財政投融資制度は入口・出口ともに公的金融機関に支えられており、公的金融機関の問題を考えるのには財政投融資制度の問題の分析が不可欠である。財政投融資制度の問題点は様々な研究によって明らかにされているが、この問題を90年代以降の日本経済の停滞との関連でとらえ直し、行財政システムの非効率性と、金融システムの機能不全の問題が如何に関連しているかを分析する。更に、財政投融資のみならず、本体の行財政システム、とりわけ前述の財政投融資制度との関連の深い公共投資について、その効率性を実証的に分析し、より効率的な公共投資で日本経済の成長を促すためのルールの改革について、投資決定主体の改革(地方分権等)も視野に入れながら総合的に分析する。
規制改革、公と私の役割分担に関連して、官による直接規制・事前規制を間接規制(経済的規制)・事後規制に置き換えることが広く提唱されている。その望ましい規制体系の中で、独占禁止法の役割はますます重要になってくる。例えば従来事業法での規制の強かった金融・電気・ガス・通信といった規制産業においても規制緩和・自由化は進展しており、それに伴って独占禁止法による事後規制の役割はますます重要になりつつある。90年代以降の日本経済の停滞の問題を考えるに際し規制産業の問題は避けて通れない事は言うまでもないが、この分野の今後の改革を考える際には独占禁止法をはじめとする競争政策の総合的な研究が不可欠である。
本研究プロジェクトでは規制産業の分析と競争政策の分析をその相互関係に注目しながら進める。また、規制産業における規制緩和に伴い、それまで事業法による規制によって間接的に担保されてきた消費者保護あるいは環境保護の問題の重要性が増してくる。この視点から望ましい消費者法制、環境政策についても競争政策とあわせて分析し、経済停滞からの脱出の桎梏にならない、あるいはむしろ起爆剤ともなるべき法体系・政策体系を明らかにしていく。