今後のプロジェクトセミナー
セミナーの記録と日程
全所的プロジェクト研究
 

第4回 全所的プロジェクト研究企画委員会

第4回の委員会の議論から

11月18日に4回目のプロジェクト研究企画委員会が開かれ、以下のような議論がなされました。

I. 今後のプロジェクトセミナー予定

 

12月14日
(大瀧氏が所外研究者に報告を依頼)
12月21日
平島健司氏「先進国における国家変容—日独比較の視角—」
中村民雄氏
1月25日
大澤真理氏「社会政策の比較ジェンダー分析」
2月22日
(コロキウム?)
3月
橋本壽朗氏

※ ただし橋本氏は、企画委員会がコンセプトを報告し、それに対して橋本氏がコメントするという形式を希望している。

 
II. 国内の研究者によるコロキウム提案

 

時期
2000年2月
テーマ
(プロジェクト全体のテーマ、イシューについてのブレーンストーミング的なもの)
問題提起者
3人程度
コメンテイター
6〜7人
参加者
学外を含む多数に呼びかける

 

 
III. 連携プロジェクト計画と本共同研究の今後の進め方について


◇ 配布資料

  1. プロジェクト研究のカラー組織図 (外部評価の視察に備えて橘川委員長が考え事務長がカラー図にしたもの)
  2. 各プロジェクトからの企画案(以下カラー図の各項目に当てはめると)

 

各プロジェクト企画案

国際的構造調整
_
中川
(企画メモはでていないが16日ワークショップが大枠)
アジア・東欧・ラテンアメリカ
_
末廣・小森田

(先月委員会提出の「研究会図」)

田中

中国の体制移行期に関する研究

政府
樋渡

I. 喪失の10年?—先進国の中の日本の政治経済変革

II. 「国際化」・「冷戦」以降の国際秩序の変容と日本

家計
大瀧

90年代の日本経済とマクロ経済学

企業
橘川

1990年代の日本企業

労働
中村(圭)

変革期における大企業ホワイトカラーの人事管理と業務管理—日・米・仏比較

社会
大沢

グロ−バリゼーションと福祉国家

加瀬

グローバリゼーション下の農業・食糧問題—国民国家と国際調整
(ただし大澤企画と合同する見込み)

 
議論から

 

 

 ヨーロッパの項目については独立した企画メモはでていないが、21日プロジェクトセミナーで平島氏が報告予定なので、ヨーロッパをどう組み込むかについて簡単に説明して欲しい。
 

 私自身は樋渡プロジェクトと一緒にやる予定。

 ヨーロッパについては同時代の日本との比較を念頭において分析する。正面から比較するかバックグラウンドとして扱うかいろいろ比較の仕様はあるが、そういう方向で考えたい。80年代〜90年代以降の現代日本政治に対する視座を豊富にするための材料を提供する。企業・労働・社会についても必要と思われるので、工藤氏にも声をかけている。ただしたとえばドイツを考えるときに日本と比較するのは簡単ではない。とりあえずはドイツの変化を考えるときに背後の条件などについて、比較を常に意識して検討するということである。他のプロジェクトとの関連も念頭に置いてやりたい。

 

 オブザーバーとして出席の平石氏、田中氏に、このプロジェクトへの参加の仕方等発言していただきたい。

   90年代の日本の思想状況の変化に関心がある。しかしこれで独立のプロジェクトを立てる条件がないので、参加できる企画があるかどうか中味を聞きに来た。参加形態についても今後考えたい。
   企画メモにあるように、社研の田島氏と中国の社会科学院と共同で、5年前から3年かけて国営企業改革を中心に調査研究を行った。現在その2回目が始まっている。これをプロジェクト研究と関わらせて切り口を共有し、その方向から中国を見ていきたい。
   以下各企画メモを踏まえてプロジェクト研究の視角の絞り方について議論して欲しい。
 

 従来は運営委員会は少人数で、タイトルや切り口について集中して議論して練り上げた。今回は企画委員のメンバーが非常に多く、全員で議論していてもまとまりにくい。多くてもこの半分ぐらいの人数でブレーンストーミング的なものを行い、インテンシブに議論して析出した切り口を各連携プロジェクトに投げかける、そういう手続きを踏まないと、このまま進んでもグループ研究や個人研究の単なる寄せ集めになってしまい、共同研究にならない。

   各プロジェクトリーダーが全所員をどこかに組み込むことを念頭において企画を立てる必要がある。全所的プロジェクトであることを意識して組織する責任がある。そうしないとますます拡散する。
   各連携プロジェクトの計画がかなり出そろってきたが、そのほかに社会政策、セイフティネットを対象とするプロジェクトが必要かもしれない。大澤氏を中心に、廣渡氏、(場合によって加瀬氏も)などが挙がっている。大澤氏は年明けに報告予定。
   無理に全員組みこむ必要はない。
 

 ある程度切り口やキーワードなどが見えてこないと参加の意欲はあってもどういう形で参加するか図りかねるという場合もある。切り口を明確にする作業がこの委員会の責任であり、その結果全員が参加するということになると理想的である。

 プロジェクトセミナーを重ねてみて、いくつかキーワードのようなものが出てきた。最初はガヴァナンスということが議論され、またグローバリゼーションという言葉も出てきた。両者は関連している。グローバリゼーションはアメリカ発で外から来てそれをどう受けとめたか、だけではなく、市場のニーズからグローバル化せざるを得ない面がある。企業の競争状況が変化し、グローバルな視野で行動しないと生き残れない、あるいは高齢化や環境問題など地球規模で発想しないと対処できない問題が出てきている、等々である。外からのグローバリゼーションと内からのグローバリゼーションは関係しているがその両方を整理して切っていく必要がある。その中でそれぞれの単位ごとのガヴァナンスが問題になっている、という印象がある。

   90年代の日本をどう見るかを中心にしてそれとの関係で世界を見る、ということでよいのではないか。特にキーワードで括る必要はない。
   90年代の日本というところで共通性があればよいということか。今は事実上ディシプリンに即した形で多数のプロジェクトが企画されており、このままで行くと相互乗り入れのあまりないまま単に一つの対象にバラバラに切り込んでいくということになる。「福祉国家」の全体研究以後、グループ研究の寄せ集めでなく、出来るだけ違った専門が相互乗り入れしながら共同研究を進めていく、というのが合意されていたようだが、今のままだとそれ以前に戻りつつある。これでは問題があるというのが一つの見解で、それに対して大瀧氏のように対象だけ共通にすればよい、というもう一つの意見が出てきたが、これらに対して意見が欲しい。
   具体的に論文を執筆する際には各々のディシプリンに則した形でがっちりした成果をまとめることになるだろうが、共同研究が立ち上げられる時には、社研内部でカヴァーしきれない問題や、あるいは社会科学的に詰めることが出来るかどうか別として学問の狭間にある重要な問題なども含めて、運営委員会の中などでインテンシブに議論して問題発見につとめる、あるいは新しい問題に対して応答するなどの努力も必要なのではないか。
   議論は基本的にプロジェクトセミナーで行った方がよい。枠組みだけでなく報告など具体的な内容のあるところで議論しなくてはダメだ。
   運営委員会の中でインテンシブに議論して出来た枠組みを割り振るのでなく、時間はかかるがプロジェクトセミナーを重ねていって析出するのがよいのではないか。また、プロジェクトセミナーでリーダーが報告すればそれでその企画が社研のプロジェクト研究の一環であると認められる、ということではなく、議論した結果これではプロジェクト研究として認められないということもあってしかるべきである。そうやって問題関心を煮詰めていくことが必要なのではないか。
   プロジェクトセミナーそのものをもっと回数多くやっても良いのではないか。
 

 この共同研究は対象や時期、地域の限定などを共有することはある程度合意が出来ているが、キーワードや枠組みを議論して決めることには今のところはなっていない。「20世紀システム」はタイトルは全巻付けられているが、その定義ははっきりしないままであり、運営委員も無理にそこは詰めなかった。早く決めるべきは、このプロジェクトセミナーのカラー図でいうと、真中のコアの部分をきっちり固めることである。それがはっきりしないと連携プロジェクトのスタンスも決まらない。

 アジア・東欧・ラテンアメリカ・プロジェクトについては、地域割りの研究をするつもりは全くない。それはすでにいくつか社研の外で共同研究を行なっている。そこでの成果をこのコアプロジェクトと接触・反応させて、新しいアイデアを生み出し、このプロジェクト研究の中で生かしたり、外で行なっている研究の意味を考え直したりしたい。検討する問題は縦割りでなく、例えば社会保障制度をどうするか、などの問題を横断的にやる。それぞれの地域の研究者がここで集まって行うのは主として意見交換・情報交換であり、全員に社研のプロジェクト研究で執筆してもらうということではない。社研の成果の出し方も、今までのような統一的な全何巻かのシリーズにすることは考えない方がよい。

 社研の共同研究に関する編集者の座談会の時に、全6巻〜8巻の大シリーズを出すことだけにこだわらない方が良いという意見が多かった。タイミングも遅すぎる。それより社研の中でどういう議論がなされているかそのプロセスが知りたい、ということであった。今回の共同研究で議論の中からいろいろなアイデアがでてくる、それを完成品でなくてもインターネット等の媒体を使って発表する、そのことにかなり意味があるのではないか。最終的な出版物はコアで2〜4冊出すだけでもよい。

 日本の80年代から90年代を考える場合どういう切り口があるか。たとえば中川ワークショップでは河合氏が、institutional capacity の問題を提出した。それは中川氏の報告の中にあった「国内の経済改革」のところで重要な問題である。その場合institutions —制度・組織は何を指すか、官僚機構か、中央銀行、民間組織も含むか、等々について、コアで議論して詰める必要があり、それとの関係で我々のところも考えていく。そういう相互の関係がないと各自が勝手にやることになり、共同研究にならない。

   地域割りでプロジェクトを立てるのでなく日本の80年代〜90年代で何を検討すべきかイシューを析出して、そのイシューごとに他の地域の同様の問題が違った様相で現れているのを見ていく、そういう視点で考えるということか。
   企画委員会では議論してイシューごとにアイデアを出す。実体的な研究はそれぞれ外と組んでいる研究会でやって、そこの成果をまたこの委員会で委員皆に回す、情報の共有をする、というようにやっていく。連携プロジェクトの中でも相互に情報交換をしながらアイデアのやりとりをする。その場合に常に参照するところとしてコアプロジェクトを作る。
   フェラス氏は、ブラジルの金融制度改革・銀行改革を今研究しているが日本ではどのようになっているのかが知りたい、といっていた。ラ米・東欧・アジアの比較だけでなく、日本を含む先進国との比較も重要である。グロ−バリゼーションの中で共通する問題が出ている。そこをやることに参加する意味がある、といっていた。
   フェラス氏はこうも言っていた。自動車産業についていうと、日本型トヨタ生産システムはラテンアメリカのような市場の不安定性のあるところでは、そのまま適用は出来ず変えざるを得ない。ボルボなどヨーロッパの方式についても同様である。市場の不安定性の高さにより、日本とも欧米とも違った自動車生産管理システムにならざるを得なかったということなどは、比較の対象として面白い問題である。
   末廣方式についてもう少し説明して欲しい。例えば私は労働問題で連携プロジェクトを組織するが、その場合に末廣プロジェクトから受け取れるものは何になると思うか。
   コアプロジェクトのメッセージがはっきりしないということだが、前回委員会の宿題で5つの項目についてペーパーが出ているので、それとの関連で具体的に議論して欲しい。
   私が出したペーパーについて。I. はテーマもはっきりしているが、II. は、90年代の日本の変化をどういう切り口でやるかについては、成果の読者として何を想定するかに関わる容易でない問題がある。「喪失の10年」は英語にすると Lost Decade ? とか Lost Opportunity ? などで魅力的なタイトルの本となる。つまり外国の研究者に参加を呼びかけたときにその人々にとって魅力的な本を作っていくということと、出来るだけオープンにして所員に広く参加を呼びかけるということと、90年代の日本をそれなりにがっちりつかまえる、という3つの要請はなかなか一致しない。コアのメッセージをはっきりさせること自体非常に難しい。2,3年後にどっさり刊行されるであろう90年代ものの一つには決してなりたくない。
   参加する人々の議論にとってそれぞれの分野での論敵というものがある。80〜90年代を見るについてそういう対立する議論を取り上げてみるのも一つの案ではないか。そういう議論をする人々をセミナーに呼んで報告あるいはコメントをしてもらうなどすると、コアのイシューも相互連関もよりはっきりするのではないか。
   末廣氏の方針案をもう一度説明して欲しい。
   それぞれアイデアがでているが、バラバラに自分達のアイデアをここで出して延々と議論するのでは実りが少ない。
   橘川プロジェクト、樋渡プロジェクトがコアであるということは合意されているのだから、そこがイシューを位置づけたり全体の構成を考えたり、なぜこういうテーマを選ぶか等々をそれなりに一貫性のあるものとして定式化していけば、それとの関係で連携プロジェクトのあり方も相互連関のあるものとして出来てくるのではないか。末廣氏のいわれるようにコアを固めていくことが先ず必要だ。
   例えば樋渡氏のペーパーを見ると1/3ぐらいは我々と重なっている。しかし中味の議論がなされないと、それをにらんで我々も議論していくという関連は生まれない。テーマや構成を延々と議論していても進まない。
   グループ研究の併存で勝手に進めても共同研究としては意味がないので、情報交換しつつ具体的な議論を進める中でこの部分は重なるので一緒にやる、この部分はそちらからメンバーをもらう、などの相乗りが出来ていくと良いのではないか。そういう方向を意志を持って進める努力が必要だ。
   具体的な話がないと議論できないので、プロジェクトセミナーをもっと頻繁にやった方がよい。
   コアの部分を先に議論していって発表も早めにどんどん出し、それを聞きながら他のグループが第2、第3と進めて行くなど、時間差でやったらどうか。
   それはよい考えだが実際には難しい。所外の人を組織してやっていくので合意形成も必要だし。
   最初、80年代の先進国を特徴付けた新自由主義というテーマで考えた。しかしそれだと魅力的な本にはならない。議論していくうちに、90年代の日本でこうであるといわれていることを、本当にそうだったのか再検討していくことが必要と考えた。しかしそれは日本の研究者にとって面白い成果にはなるが、果たして外国の研究者が日本を見る場合に魅力的なものになるかどうか。それが今突き当たっている問題である。
   研究所のコンピータンスを考えて、実際に何がこの時代に起きたのか起きなかったのかをきっちり明らかにすることが先ず前提である。
   日本の読者という場合、一般読者でなく研究者を相手にしたものを作るわけだが、それに付加価値を付けて外国の研究者にとって役立つものにするのか、この問題は易しいことではない。私のプロジェクトは外国の若い研究者も入れているので、その人々の関心はそういうことになる。
   外国の読者を念頭に置いてこのプロジェクト研究全体を考えていくのか。
   全体がそうではないが私のところはある程度そうなる。
   コアプロジェクトを明確に、ステージをこの部分だけ早く、などの意見が出た。各グループのペーパーを見ていくと、少なくとも大瀧プロジェクトは内容からいってコアにはいるべきである。次回あたりまでに樋渡、大瀧、私が集まって調整して、90年代の日本を考えるときのイシュー、相互の関係について、具体的な内容を準備する必要がある。2月のコロキウムがその拡大版、ブレーンスト−ミングになるだろうが、少人数で調整し詰めていくことも必要である。次回にそれを提案するのはどうか。
   コロキウムのような大きなものより小回りの利くプロジェクトセミナーをもっとやった方がよい。
   プロジェクトセミナーは何かを決定するという場ではなく、自由に発言する場である。橘川・樋渡プロジェクトを中心に中を固めて原案を作っていくという橘川提案はよい。
   例えば私は樋渡氏のところにはいっているが、法律系の参加者を集めるときにどういう論点で集めるか、という前提を先ず固めなくてはならない。大瀧氏のプロジェクトに関連していえば、会社法の人を呼ぶのか、倒産法か、手続法か、これだけでは分からない。プロジェクトセミナーで人を呼んでくる一つ前の手続き、情報交換がまだまだ必要である。
   報告者に外の人も呼んでプロジェクトセミナーを頻繁にやったらよい。今まで報告した人ももう一度やりたい人もいるだろう。12月のスタッフセミナーの定例日(14日)が空いているので、堀内氏、吉川氏等々依頼する用意がある。
   12月プロジェクトセミナーは、14日に大瀧氏のアレンジで一回行い、21日に平島氏と中村(民)氏二人を報告者として行う。  次回までに私、樋渡氏、大瀧氏でイシューのすりあわせをしてメモを作成し、それをたたき台に次回委員会を進める。

〈文責 土田とも子〉