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第1回 全所的プロジェクト研究企画委員会

第1回の委員会の議論から

7月22日に第1回の全所的プロジェクト研究企画委員会が開かれ、日程等事務的な取り決めのあと、今後の研究テーマの絞り方、研究の進め方をめぐってフリートーキングが行われ、出席メンバーから多岐にわたる意見が述べられました。

  • 当日の編集者の意見はおおむね次のようなものであった。

     こういう共同研究のシリーズは、出版社では出来ないので、研究所との棲み分けでやっていくことで良いのではないか。5, 6年かけて毎年研究費を使って共同研究を行い、6, 7巻のシリーズを出すという、エネルギーとコスト、期間の大きさ、とくに何年かの研究会における議論を通じて最後の刊行物に結実する内容を析出していくという点が、研究所の共同研究だから可能である、という意見である。出版社で出す場合は、はじめから出来上がったものをある程度はっきり頭に描いて、テーマの設定から読者層、ターゲットを明確にする。そしてこのテーマならこの書き手に依頼する、というように決めていく。

     これに関連して、研究のプロセス、全何巻かのシリーズに結実する議論の過程を何らかの形で発表できないのか、という意見が多かった。月報、付録、インターネット、別巻などいろいろな方法があるはず。プロセスを外に出すことによって外部の人がそれにアクセスできる機会が出来、そこからネットワークが拡がり、またアイデアが拡がることもあり得る、などなど。社研の共同研究は議論してその中から切り口を発見していく形であるから、なおのことその過程が見えるようにしてほしい、という発言である。

     また、社研のシリーズの場合は読者層として、専門家、一般の人々、論壇、等々どこが想定されているのか良く分からないところがある。しかしいくつかのディシプリンの集合としての社会科学を正面に据えて論じることで価値がある、読者を広げ時代の流行におもねる必要はない、という意見も出た。

     今後扱ってほしいテーマとしては、日本の社会科学は何であったのか、その成り立ち、系譜、功罪等々である。

     また、今回の座談会ばかりでなくシンポジウムの時の懇親会等でも、日本社会を社会科学研究所のの研究対象の中心に据えるということに疑問を呈する意見が多い。なぜ今頃日本社会なのか、という意見である。従って今回のコアプロジェクトの対象を日本とすることについては、もう少し議論した方がよいかも知れない。

     そのほか、執筆陣にもっと外部を、特に外国人を参加させてほしい、また日本語以外の言語での出版を、という声も多かった。


  • どんな問題に出会うか、どんな切り口が生まれ出る瞬間に立ち会うか、予測不可能なところのあるのが研究所の共同研究、というわけで、いろいろな人が参加して議論し、楽しかった、大いに意味があった、と感じられるプロジェクトにしたい。
     4月からのセミナーを聞いていて以下のことを感じた。対象の共通性は、1980年代〜90年代の日本中心、それまで卓越した日本システムといわれていたものが、この時期になぜ機能しなくなったのか、という問題である。
      以前の共同研究の例を見ると、『福祉国家』は70年代の状況の分析、『現代日本社会』では80年代の日本企業の強さ、『20世紀システム』では時期が遡って20世紀システムがよく機能した高度成長期が中心だった。今回は90年代のことを分析したい。 日本中心でやるのは、現在いろいろな問題がおきていて、解明されていないことが多いからである。切り口をどうするかが大切だが、座談会の記録を見ると、社会科学研究所でしかできない研究を、といわれているようだ。その中味は、それぞれのディシプリンをきっちり使いきって研究しそれを共同研究に生かす、ということだと思う。80年代〜90年代に何がおきたのかを、まずは各々の専門からオーソドックスに切ってみる。
     バブル前にスタンダードと思われたもの、例えば会社主義、日本の金融システム、労使関係なら日本型の労使関係などの議論等々を検討し直してみる。
     議論の過程はなるべくオープンにしたい。インターネットによる発信はもう始めているが、月報がどういう形で可能だろうか。研究会は出版社の編集者や学内関連部局の人に公開する。運営委員会にも外部の人や外国人に参加してもらうことを考える。プロセスを見せるのも研究所の仕事だろう。
  • 会社主義は定義もはっきりしないし実態も伝わってこない。従来の社会科学系の日本経済に対する批判的な姿勢と、80年代の繁栄礼賛の折衷である。 今回のプロジェクトは、以前の全体研にはとらわれずフリーハンドでやった方がよい。『現代日本社会』は、当時学外の人間として読んで疑問が多かった。
  • 80年代〜90年代の日本経済を、それではどう捉えるか。日本経済を捉える通説は、80年代と90年代とでは大きく変わった。
  • 80年代には日本のシステムは市場を凌駕するものであり、雇用も、企業システムも万々歳という議論だった。90年代不況になると、その同じ人々が、日本システムはすべてダメだといっている。
  • 私は80年代も90年代も日本型システムは連続性があると思う。ただそれが景気循環の局面の変化で見え方が変わる、ということで一貫して良いと思う。
  • 80年代以前は日本のメインバンク・システムは機能していて、素晴らしいといわれていたのが、今はそれが良くないと言われている。メインバンク・システムは今なぜ機能しなくなったか、あるいは80年代には本当にうまくいっていたのか、等々についてクリアカットな答えがまだ出ていない。だからそれを分析することはよいと思うが、成果が出るはずの数年後にはまた日本経済の状況ががらりと変わる可能性もあり、リスキーなテーマである。
  • 80年代には実際そうであったかは別として、なぜうまくいっていたのかの説明があった。現在、日本経済がうまくいっていないことを踏まえて、そうした説明を再検討することは意味がある。学問はその時々の状況に流されがちだが、逆に数年経つと、それまでの通説のどこがおかしかったのかが見えてくる。80年代の説明の、どこに盲点があったのか、何が見えていなかったのかを検討することは、学説の展開という点からも意味があるし、それほど危険度も高くないのではないか。
  • 社会を動かしている、ある大きな力があって、景気循環の局面で見え方が変わる。現実はパッチワークのように入り組んでいるのを、時々の"通説"は部分しか見ていない。
  • 例えば、政治学では、日本を対象とする場合、10年前は、なぜ自民党は強いのか、というのが大きなイシューで、いろいろな議論が展開された。今なら、改めて以前の見方で何が抜けていたのか、何が問題だったのか、どうすればより良い説明ができるのかを検討するのに良い機会だと思う。
  • アメリカはこうなっていて、ヨーロッパはこう、日本はこう、アジアはこうです、という提示の仕方はもはや意味がない。なぜそうなっているのかがこれでは分からない。世界に共時的に現れているものを抽出し分析することが必要。 しかしなぜ世間の人は日本社会をターゲットとすることについて否定的なのか。
  • 一般的には、日本を動かしているものはおおむね外国からのインパクトであって、国際的に見なくては社会を描くことは出来ない、と言われる。法制度、法秩序を見るにも、グローバリゼーションの波は大きい。今日本を研究の軸に据えることに疑問符がつくのは、世間の感じ方としてはごく一般的である。
  • 基底は日本でよいと思う。しかし例えば金融、会計などをやるとどうしてもグローバルスタンダードの波を見る必要が出てくる。
  • 自分のトゥールは自分の国を対象にきっちり使えることが先ず大切である。 このプロジェクト全体としては、切り口は何かが重要である。最初にプロジェクトのコアとして挙がっていたガヴァナンスは、切り口としてふさわしくない。
  • ガヴァナンスは多元的に考えることが出来、まだ可能性を残している。
     法の世界について言えば、例えば司法修習生の数を3倍4倍にしようというような、「大きな司法」を作るかどうかが議論になっている。日本システムを言われてきたものの枠内での変化なのか、それとも大きく支配戦略として変えようとしているのか。
  • 日本システムといわれてきたものは何であったのかが、90年代を通してみると見えてくる。キーワードでなく対象で勝負して、それぞれ意見は違っていても姿勢は共通で互いに議論する、というまとまり方がよい。
  • ガヴァナンスが魅力的なキーワードでないとしても、それ自体はかまわないと思う 。会社主義について言えば、出版のためのキャッチフレーズなら良いが、それ自体が理論であるということになると違和感がある。今回、90年代の日本を対象とするというとき、ガヴァナンスはキャッチフレーズとして、結局は、それぞれのディシプリンでの最先端の仕事になるような努力をつぎ込んでいけば良いと思う。
  • 紀要『社会科学研究』で90年代のマクロ経済を特集する計画である。企業と労働に関してガヴァナンスの問題を中心に組む。今回のプロジェクトでは、最終的に書物になる前に、一旦紀要に載せ、議論を通じてリファインすると良い。
  • 読者層の問題をどうするか。アジアも日本も21世紀にどういう形になるかというのがいままで主な問題関心であった。今日の議論のように過去のものを90年代をとおして検討し直す、という場合、読者のニーズやタイミングの問題として適切かどうか。
  • 読者層としては、専門家を中心に、関連分野の研究者、日本社会のあり方を考えている知識層というあたりを考えている。
  • アカデミックなものを書く場合でも、自分としては専門家以外の人も読みやすいよう、いつも気を使って書いている。
  • 個人的には研究者対象に書きたいが、共同研究成果として出す場合売れ行きの問題があり、ある種のジレンマがあると思う。しかし、学術出版なのだからテーマがタイムリーなものというより、現状分析でどんな新しい視角が出せるかが重要だろう。
  • しかし日本経済が再び好況になったとして、そのときに刊行された本が、例えばメインバンク・システムの何が80年代には見えなかったか、90年代には何が機能しなくなったか、などの分析では、研究者にとっても魅力に乏しいのではないか。
  • そうとばかりはいえない。アジアの金融危機後も「アジア経済の危機」でなければ専門家に読まれないということはない。
  • 現状分析の限界があるとしも、その分析が通説を超えた理論的貢献ができれば、一周遅れということにはならないのではないか。
  • シリーズで6巻とか7巻とか出すだけが成果の社会還元ではない。多様な方法を考えていかねばならない。
  • 原稿は可能な限り余裕を持って提稿して、互いにそれらを読みながら、改訂して進めていく方がよいかもしれない。一発勝負には問題が多い。
  • 社会科学研究所編ということも固定的に考えずに、グループや責任者の名前で出すことも考える。
  • あくまで90年代から見ると何が見えるか、というところにポイントを定めるなら良いが、80年代がベースになるのはまずい。
  • それと、講座もののようにすでにあるスタンダードな議論を提示するのではダメだろう。90年代から見るのなら新しいものが見えていなくては。
  • 今までのセミナー等で報告されたものや議論の中で出されたものは、樋渡報告—主要先進国で国によってインフレ対策の必要性と内容が違うという話、大瀧氏—市場と組織の問題、末廣報告—金融危機後のタイのガヴァナンスの考え方、廣渡氏—法化の限界とその逆転、等々で、そうそうout of date になるとは思えないものばかりだ。全部を括ったタイトルを考えるのは難しいが。

〈文責 土田とも子〉