当日の編集者の意見はおおむね次のようなものであった。
こういう共同研究のシリーズは、出版社では出来ないので、研究所との棲み分けでやっていくことで良いのではないか。5,
6年かけて毎年研究費を使って共同研究を行い、6, 7巻のシリーズを出すという、エネルギーとコスト、期間の大きさ、とくに何年かの研究会における議論を通じて最後の刊行物に結実する内容を析出していくという点が、研究所の共同研究だから可能である、という意見である。出版社で出す場合は、はじめから出来上がったものをある程度はっきり頭に描いて、テーマの設定から読者層、ターゲットを明確にする。そしてこのテーマならこの書き手に依頼する、というように決めていく。
これに関連して、研究のプロセス、全何巻かのシリーズに結実する議論の過程を何らかの形で発表できないのか、という意見が多かった。月報、付録、インターネット、別巻などいろいろな方法があるはず。プロセスを外に出すことによって外部の人がそれにアクセスできる機会が出来、そこからネットワークが拡がり、またアイデアが拡がることもあり得る、などなど。社研の共同研究は議論してその中から切り口を発見していく形であるから、なおのことその過程が見えるようにしてほしい、という発言である。
また、社研のシリーズの場合は読者層として、専門家、一般の人々、論壇、等々どこが想定されているのか良く分からないところがある。しかしいくつかのディシプリンの集合としての社会科学を正面に据えて論じることで価値がある、読者を広げ時代の流行におもねる必要はない、という意見も出た。
今後扱ってほしいテーマとしては、日本の社会科学は何であったのか、その成り立ち、系譜、功罪等々である。
また、今回の座談会ばかりでなくシンポジウムの時の懇親会等でも、日本社会を社会科学研究所のの研究対象の中心に据えるということに疑問を呈する意見が多い。なぜ今頃日本社会なのか、という意見である。従って今回のコアプロジェクトの対象を日本とすることについては、もう少し議論した方がよいかも知れない。
そのほか、執筆陣にもっと外部を、特に外国人を参加させてほしい、また日本語以外の言語での出版を、という声も多かった。