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科研基盤研究C(2)

「1990年代日本の思想変容—主要テーマに即した同時代的考察」
(研究代表者:平石直昭)


 研究目的


㈰このプロジェクトは、1990年代を中心とした日本社会の思想変容を分析対象とする。この時期に問題となった(また現になっている)思想潮流や言説、論議の幾つかを重点的に取り上げ、主に思想史の方法によってその変容過程を分析する。そこから得られた知見を総合して、学界・市民の同時代認識に資することをめざす。

取り上げるテーマは、ナショナリズム論、アジア論、知識人論、市民社会論、社会科学論、天皇論である。90年代前後にかけて日本の内外では、大きな事件や変化がたてつづけに起った。社会主義体制の凋落、冷戦の終焉、湾岸戦争、バブルの崩壊、アジアの台頭、経済不況、政党再編、グローバリゼーション、構造改革、規制緩和、反テロ戦争等である。時代が大きな転換期にあるとの感を誰しも否めないであろう。上記したような思想潮流や言説等は以前からあったが、こうした内外の動向やそれと連動した生活ムード等の変化を背景として、そこには一定の変化が認められる。この変化を、議論の立て方や問題の出し方、用語やレトリックの変化、議論の中身における重点や論点の移動、歴史的な連続と非連続の関係などに注意しつつ分節化し、そこにどんな基本的問題が潜んでいるかを明らかにする。平成16年度には、資料の系統的な収集と分析を行い、研究会での発表によって知見の交換と共有を図る。17年度には執筆活動に入って具体的な成果にまとめる。社会科学研究所の紀要『社会科学研究』に特集号を組む予定である。

㈪このプロジェクトの特色は、思想史の方法によって同時代認識を試みる点にある。同時代認識が難しいのは、認識が日々変化する状況に囚われて短期的・部分的になりやすく、根底に流れる大きな動向を捉えにくいことによるであろう。このプロジェクトでは、同時代の諸思想を客観化するために、縦軸では、日本の「戦後思想史」や欧米・アジアをも視野に入れた「20世紀思想史」、より長期の「近現代思想史」の観点、また横軸では、現代政治理論や現代文明論が与えた影響など、縦、横双方で幾つかの歴史的視野や比較の視点を分析にとりいれ、それらを組合せることにより、90年代の思想状況を重層的多面的に明らかにしようとする。それは立体的な同時代像を示すことで、学界・市民の同時代認識に資するであろう。

㈫活字メディアの世界では論壇時評が、毎月の時評類を紹介し批評している。また一年間を振り返った総括的な批評の試みもある。しかし幅を長期にとって、90年代の思想変容の種々相を国内ムードの変化等と結びつけて捉え、立体的な同時代像を示す試みは、十分にはなされてきていない。また論壇で示されるのは、多く一定の問題に対する著者のオピニオンリーダーとしての発言や意見であり、同時代の思想状況に対する学問的認識とはいえない。その点で我々がめざしている複数の視野や視点を組合せた同時代認識の試みは、あまり例がないと思う。

 研究方法


単行本以外に、「総合雑誌」をはじめとする定期刊行物、新聞、さらにインターネット上のサイトを含む活字メディアを主たる検討対象とする。テーマとその研究分担者は、以下の通りである。ナショナリズム論=平石直昭、アジア論=佐藤美奈子、市民社会論=都築勉、知識人論=松本礼二、社会科学論=宇野重規、天皇論=苅部直。平石が総括の任にあたる。以下それぞれについて説明する(順不動)。


○ナショナリズム論:90年代の日本では、ポスト植民地主義等の理論によるナショナリズム批判が盛んに行われたが、その反面で「国旗・国歌法」が制定され、また「新しい歴史教科書を作る会」や一部の排外的言動のように、従来の保守的ナショナリズムとは異質な動向も前面に出てきた。その背後には、湾岸戦争を契機とした国際貢献論の高まり、戦後50年を経た日本社会における戦争経験の風化、個人の歴史的同一化の危機、メディアが生み出すムードの変化等が考えられる。これらの連関のなかで、とくに上記「作る会」の主要メンバーの思想的軌跡と歴史像の特徴を、戦後ナショナリズム論の諸系譜と関連づけて分析する。


○アジア論:日本人のアジア像は、20世紀末葉における東南・東アジアの政治変動や経済成長等を背景として、とくに90年代以後大きな変容を経つつある。その一端は、改革解放路線下の中国の大変貌が日本社会に種々の衝撃をあたえ、中国像の見直しを迫っている点に示されている。またこの時期には、冷戦後の世界秩序の再編を背景にアジア回帰が時にいわれたが、逆にアジア各地では日本の戦争責任が追究され、未解決の問題が残されていることを改めて示した。こうした中で、90年代日本のアジア認識がどのような軌跡を辿り、そこにどんな問題が潜んでいるかを、とくに戦後第1世代のアジア論がどのように継承されているかに注意しつつ検討する。


○市民社会論:80年代末の東欧革命以後「市民社会」の観念は新しい脚光を浴びた。ヘーゲルやマルクス主義のburgerliche Gesellschaftは、国家から区別された利益体系を意味し、その市民は経済利益を追求する利己的個人であった。他方、英米圏にはロック以来のcivil societyの伝統が存し、その市民は政治社会の構成員を意味した。こうした中で東欧革命は、非政治集団が一定の政治的公共性を担うという特徴を示した。一方戦後日本も独特の市民社会論を生んでおり、これらが交錯する中で、90年代には市民社会論が盛んに議論された。こうした理論状況を整理することにより、論者の自己理解に資するとともに、新たな公共性や共同体の必要がいわれ、NGOやNPO等の新しい社会運動が展開する中で、市民社会論がもつ思想的可能性を探る。


○知識人論:90年代半ばは敗戦後半世紀という節目に当り、戦後日本の総括が種々の分野で試みられた。とくに知識人については、この時期が社会主義体制の崩壊と重なったこともあり、進歩的知識人総退場論のような論もなされたが、他方で憲法の平和主義や基本的人権理念を生かす道を探り、戦後知識人を再評価する動きも現われた。また歴史的転機に直面している今、新たな羅針盤を示す知識人への待望が広くある反面、社会への異議申立てという知識人の機能が衰弱しつつあるとの指摘もある。こうした知識人論の諸相を整理しつつ、それを戦後日本思想史のなかの知識人論や20世紀思想史の中の知識人論と比較することにより、現代日本の知識人論の特徴を明らかにし、知識人がもつ批判的機能を再活性化させるための条件を問う。


○社会科学論:戦後日本の社会科学界では、後進国である日本の資本主義化・近代化の特徴分析が重視され、マルクス主義とヴェーバーの理論が大きな位置を占めた。しかし高度成長と大衆社会の到来後、その妥当性に疑問が出され、代替理論が示されてきた。社会主義体制が凋落した90年代にはこの傾向が一層強まるとともに、戦後第1世代の理論が総力戦体制を前提しており、マルクスやヴェーバー等の理解に関しても多くの問題を孕んでいるとの指摘がなされた。社会科学の領域全体に見られるこうした見直し傾向が、90年代の政治学の方法論の分野でどのように現われているかを、戦後政治学史全体を視野にいれつつ考察する。


○天皇論:80年代末から90年代の日本は、国民主権と政教分離を定めた現憲法下ではじめて天皇の葬儀と即位の礼を経験した。それ以後も立太子式、皇太子の婚約と結婚など、皇室はメディアの世界で話題を提供し続けている。昭和天皇の逝去前後には自粛ムードが広がったが、それは人々の記憶のなかで彼が、昭和前半の戦争の惨禍また戦後の復興と不可分に結びついていたことを示すであろう。そうした昭和天皇から平成天皇への代替わりは、天皇イメージの変容を齎した。それは人々の「戦後」イメージや「日本」イメージの変容と関連しているように見える。その相互関連を戦後史のなかに通時的に位置付け、現代的位相の特徴を探る。