アジア諸国の企業研究の論点整理(末廣昭メモ)

ファミリービジネスの「成立」、「持続性」(continuity)、「持続可能性」(sustainability)について

(1)アジア経済研究所の星野妙子氏を主査とするアジア経済研究所・東京大学社会科学研究所共同主催の「ファミリービジネス研究会」(ホームページの紹介を参照)は、もともと、発展途上国や中進国において依然として支配的な企業形態であるファミリービジネスが、経済の自由化やグローバル化という新しい経済環境のもとでも、はたして「持続可能」(sustainable)な企業形態であるのかどうなのか、その現状の把握と、もし持続しているとすると、そうしたグループの持続性の経済的社会的根拠はどこにあるのか(企業行動、企業戦略を含める)、この点をラテンアメリカ諸国と東・東南アジア諸国の企業を比較することで追究しようということで、2002年4月に発足しました。現在、どういう研究視角が成り立つのか、参加者のあいだで鋭意議論しているところですが、過去3回の討論で刺激されたところがありますので、わたしなりに論点を整理しておきたいと思います。コメントなりご意見を頂戴できれば幸いです。 

(2)ファミリービジネスを考える場合、その発展過程を次の3つ、すなわち㈰さまざまな形で創業された企業が所有と経営の両面で特定の家族の手に集中していく過程(成立過程 dominance)、㈪そのようにして成立した企業なり事業が、いわば「家業」として世代を超えて継承されていく過程(持続性 continuity)、㈫事業が拡大し、かつ国民経済が大きくなり、資本市場も一定の発達を遂げながら、なお所有分散型大企業に変容しないで、ファミリービジネスとしての企業形態が存続していく過程、もしくは崩壊する過程(存続可能性 sustainability)の3つに分けるのが有意義ではないかと考えます。㈫の場合には、事業規模が大きくなり、多角化しながら、途上国においてなぜ「ファミリービジネス」がなお支配的でありえるのかという点が、当然問題になります。

 最初の「成立過程」では、創業者一族のあいだだけではなく、同郷者、同業者、友人たちが共同で事業を起こす場合(partnership)も、多数みられます。社会主義国化する前の中国で基本的な企業形態も、こうした複数のひとびとによる共同出資型企業(合股型企業、He-gu)こそが基本でした。台湾における「ネットワーク型企業」もこれと同様です。ところが、時間をえて増資したり、事業を拡大したり、企業形態を両合公司から有限公司などへと変容させる過程で、しばしば特定家族への所有と経営の集中の動きが観察されます。つまり、パートナーシップからファミリービジネスへの移行が生じています。この問題をどう捉えたらよいのか。ひとつの仮説は、情報と信用について「開かれた市場」が成立していない、そうした市場経済が未成熟な社会では、血縁関係が唯一の信頼できる組織形態であるというものです。したがって、情報手段と信用市場が発達すれば、おのずからファミリービジネスは衰退するというのが、彼らの仮設です。一方、中川敬一郎氏に代表されるように、「後発工業国」においては、意思決定手段としても、資金調達手段としても、「家族企業」は合理的な組織形態であるという研究結果もあります。それに対して、各国・地域の家族制度や社会制度が決定的な影響を与えているという「埋め込まれた社会関係」(social embedded ness)も依然として有力な説明として残っています。いずれにせよ、企業組織のなかでなぜ「ファミリービジネス」が登場し、一国の企業組織形態のなかで支配的な存在となるのか。アメリカなどで日々生まれるベンチャー型ビジネス(創意工夫の個人企業)とどこか違うのか。この点が第一の論点です。

(3)次に「持続性」の問題は、なぜ世代交替が生じたときに、ファミリービジネスは創業者から次世代に引き継ぎが行われ、かつ存続・発展できるのかという問題です。アメリカなどの大企業の研究では、世代交替をへると企業の資産は分割・分散化するか、さもなくば「跡目争い」を通じて、企業の統一的な運営が困難になるということが、しばしば指摘されています。また、インド財閥の研究でも同様の指摘があります。記憶に新しいところでは、韓国の「現代財閥」の骨肉の兄弟争いが代表的な事例でしょう。また中国人社会では、同世代の男子のあいだで財産を均等に分割することが、ひとつのルールになっていますので、世代交替が生じれば、ファミリービジネスは分散化することが、一般に想定されます。

 一方、社会人類学者や家族法原理の研究者のあいだでは、家族の財産(家産)と個人の財産の区別、家業・家産の相続の慣行について、幅広い研究が進められてきました。日本における「家業・家産・家名の一致」と「長子相続の慣行」は、ファミリービジネスの継続に関するひとつの回答といえます。

 にもかかわらず、家族の財産の均等分割をきめている社会でも、多数のファミリービジネス(家業)が世代を超えて存続しています。その理由と条件は何か。この問題については、第一に、分割可能な家族の財産の相続(inheritance of property)という問題と、そもそも分割することができない家業(グループ化した事業)の経営統帥権の継承(succession of office)という問題を区別して論じる視点が重要ではないかと思います。日本の場合には、この2つはいわゆる「家長の権限」「戸主権」として統一的に把握されてきましたが、他の国では別に考えるのが妥当だと考えます。

その一方、最近のわたしのタイにおける230主要経済家族の研究では、すでに事業の譲渡が終わっている家族(大半が華人系)のうち半数以上が「長子」に事業の統帥権を継承していることが判明しました。逆にいえば、長子相続の暗黙のルールを適用することで、財産の分割にともなう事業の分散化を防いでいるということになります。こうした慣行は、中国の家族法原理とは大きく異なるもので、「華人社会」に固有の慣行なのかそうでないのか、きわめて興味深いテーマです。したがいまして、各国・地域でファミリービジネスの成員が、世代を超えた継承をどのように「保障」しているかは、第二の重要な論点になりえると思います。

 なお、こうした統帥権の継承とともに、各国・地域における「相続税法」の有無と内容、「固定資産税」の有無と内容なども、財産の相続には決定的な影響を与えますので、「制度的要因」として比較研究を進めていく必要があるかと思います。ちなみに日本、韓国には厳格な「相続税制度」がありますが、タイやインドネシアにはありません。

(4)最後にファミリービジネスの「存続可能性」ですが、これは国民経済が拡大し、事業が多角化していくなかでも、なおファミリービジネスが「存続している」という動きと、経済自由化やグローバル化という新しい環境のもとでも、一部のグループはなおファミリービジネスの形態をとりつづけているという動きの2つを想定することができます。その場合、仮説的には、ファミリービジネスにはマキシマムの「成長臨界点」(資金調達の臨界点と人的資源の臨界点)がおのずからあると想定し、さまざまな条件がこの臨界点の底を引き上げていると考えるのが妥当ではないかと思います。これが第三の論点です。つまり、

㈰資金調達の臨界点については、家族内の利用可能資金や同族内の資金だけではなく、グループ内の企業間信用の活用、所有主家族の「評判」をてことする銀行借入の利用、株式市場での初期のキャピタルゲインの利用、海外でのプロジェクトベースのシンジケートローンの活用などが、普通想定される資金調達の底を引き上げる。

㈪人的資源(経営資源)の臨界点については、創業者一族が公的な教育制度の未発達に対処して、早くから次世代に対して膨大な教育投資を行ってきた(とくにアメリカなどへの海外留学派遣)ため、家族内に優秀な人材を担保することができた。また現在と違って、1970年代頃までは、例えばタイでは本妻の「子だくさん」方針があり、さらに第二夫人、第三夫人と結婚して多数の子供をもうけ(創業者の子供が20人以上ということも珍しくない。ただし、その分、相続争いが複雑にもなるが・・・)、同時に「結婚」を最大限、事業拡大と統合の手段に利用してきたために、意図的に「専門経営者」を招聘しなくても、家族内の人材でいっていの事業多角化に対応できた。さらに、製造業などの分野では、「合弁事業」方式をとることで、設備投資、運転資金だけではなく、経営面でも人材の確保を海外から確保することができた。こうした事実が、想定される経営資源の「臨界点」を引き上げたと考えられます。

㈫自由化・グローバル化のもとでの事業拡大の臨界点については、創業者一族プラス内部昇進者、招聘専門家などが推進した新たな「企業戦略」が、「所有構造」にみられる家族性の限界をこえて、変化する外部環境への対応を可能にした。

 そういう条件が考えることができるのではないかと考えています。

 以上の点はまだ「思いつき」程度です。ご示唆、コメントをいただければ幸いです。