セミナーの記録と日程

全所的プロジェクト研究

第9回プロジェクト・セミナー

1999年12月21日 ◆於:社研大会議室 

先進国における国家変容―日独比較の視点―  報告:平島 健司

1980年代以降のイギリスの憲法・行政法改革  報告:中村 民雄

第9回プロジェクトセミナーでは平島健司氏と中村民雄氏から、それぞれ報告がなされた。

【中村 民雄】  1980年代以降のイギリスの憲法・行政法改革  →【討論】

1.1980〜90年代の保守党政権による行政改革

 1979年に総選挙で勝利をおさめた保守党サッチャー政権は、矢継ぎ早に行政改革の措置を打ち出した。最初は財政面での明確な目標の設定といった経済的なものであった。83年のFinancial Management Initiative(FMI)や82年から83年にかけてのNational Audit ActやLocal Government Finance Actといったものは、お金の出し方をきちんと統制するというものであった。しかしながら法律的にみて、それより一歩先に進めたといえるのは88年のひとつの白書であった。これはImproving Management in Government:the Next Stepsであり、ここで省庁の再編が掲げられるようになった。政策の形成部門である本省と執行部門であるエージェンシーを分離しようという発想が出された。その後、エージェンシーと呼ばれるものがいくつも設置され、これを俗にNext Step Agencyと呼んでいる。日本の独立行政法人のモデルはイギリスのエージェンシーであると言われるが、それはこのNext Step Agencyのことである。ただNext Step Agencyというのは、実は日本でいう独立行政法人とは相当性格が異なる。

 法律的な問題に入る前に、なぜそうしたNext Step Agencyというものが必要であるのか。政策当局者の説明によると、いくつかのポイントがあるが特に大きなポイントは、今まで政府の省庁は経営責任が不明確であって、それを明確にする必要があるということである。職員1人1人の年次の目標設定についいても成績評価についてもほとんど行われなかった、省庁全体の成果、業績を目に見える形で評価するようなことがなかった、ということであり、そこでは要するに内部には改革圧力がないことが指摘され、責任・目標が明確になるような形で省庁の細分化を行おうと言われた。

 それではNext Step Agencyというものは、法律的にどういう存在かというと、実は本省の外局のようなものであり、独立の法人格をもたない。ここが独立行政法人とは決定的に違う点である。エージェンシーの長の任免権は本省の大臣にある。本省の大臣とエージェンシーの長との間で擬似契約が交わされる。そのことをFramework Documentすなわち基本協定と呼ぶ。その協定の中で3年間の活動計画、大綱が示され、これに即して1年ごとに分割して活動し、3年ごとに成果を評価して、悪い場合には長を解職するという形である。契約ではないが擬似契約的な扱いにしていくことは新しい点である。イギリスの行政法の下ではこうした下部機関の責任者は大臣に集約され大臣が国会に責任を負うという制度がとられてきたが、擬似契約という制度を中間に持ち込むことによって大臣とエージェンシーの長との間にさらにもう一つのチェックの機能が入るわけである。

 さらにエージェンシーの性質によっては、民間の業者と競合関係に立つものもある。郵便事業がそのひとつである。このような場合、民間の同様なサービスとエージェンシーのサービスとを大臣が比較してエージェンシーの方の効率が悪い場合、思いきって民営化をするという脅しをちらつかせることもできる。

 こういうわけで大臣の責任だけによっていた行政の内部規律の仕組みに、擬似契約を導入することによって競争的な要素を含ませるところが大きな特徴になっている。サッチャー政権は、財政、競争といったことを合言葉にして単発的な行政改革をしていく。保守党の党首が変わった後も一貫して競争原理、擬似競争原理を合言葉に行政改革が進められたが、その最たるものは、94年のDeregulation and Contracting Out Actというものである。もうひとつは92年のLocal Government Actである。

 92年の方から説明すると、地方自治体がそのの業務の一部を民間の業者に委託する場合は、必ず競争入札をさせるということを規定したものである。94年の方は、第69条から74条までの間に大臣や部局長、自治体の業務委託を政令、省令の命令形式で可能にするという規定がある。これは要するに、その日その場の需要を迅速に満たすことができるようなことが可能になることを意味している。これが保守党の行政改革の手法を集大成したようなものといえる。

 これで法律的な形は整ったが、こうした一連の行政改革に特徴的な規制手法にはどのようなものがあるのか。

 もとからあった手法としては、まずそれぞれの部局に対して予算によって統制する。予算執行状態をオープンにしておくというものがあって、昔からあるものでそれをもっと厳しくして、"Value for money"が合言葉になった。Economy,efficiency,effectivenessという三つの指標から会計監査を受ける。二つめは民営化で民営化後の監督庁の設置である。三つめは、民営化しにくいサービスについても独立の監督官庁を設け、例えば教育面でのOFSTEDという監督官庁を設け、そこが行政監査を徹底するという手法をとる。チェックリストを作って、全国一律に公立学校を訪問して設備から教育内容にいたるまで成績を評価し、パフォーマンスが悪いと、極端な場合、閉校するということまでやった。

 新しい要素としては擬似競争・擬似契約的手法を用いる点である。また後ほど説明するCitizen's Charterによる競争の「成果」評価と低劣行政サービスの責任所在の個別化・明確化である。またその前提として「成果」を評価するためには情報の公開が必要であり、行政情報の公開がなされた。もうひとつは、民営化をしたならば資本市場から評価を受けるということである。

 ともあれイギリスでは行政改革が79年から95年くらいにかけて行われている間に行政法学者の間で、こうした行政手法の変化をどう加えればよかといった議論がなされるようになった。元来、イギリスには独仏のような大陸法型の行政法体系がなく、いわゆる私人間の関係、コモン・ローの関係を国家と私人との間にも類推させてその問題を解決させようとするということが(例外は若干あるが)基本的な立場であった。それゆえ行政法をどう構築するかということがゼロから出発する議論だった。

 一つの議論としてまず「赤信号の行政法」というのがあって、次に青信号になって黄色になって再び青になるというのがこれから紹介する議論である。 これはHarlowとRawlingsがやっている議論であるが、「赤信号の行政法」というのは19世紀から20世紀初頭にかけての行政法であって、イギリスではダイシーらに代表されていたが、そこでは行政というものは権力を濫用するものだ、「赤信号」「危険」だ、ということで、そこから市民の自由を守るのが行政法であるという考え方である。これはコモン・ロー、権利、訴訟といったものを中心とした自由主義的な行政法学である。ところが20世紀から例えば給付行政が急速に増加し、今までの理論では説明つかなくなり、そこで「青信号」の行政法学というものが反対サイドから出てきた。1950年代からの福祉国家の政策を肯定的に評価して、公益のために行政の権限を円滑化することが行政法学の使命であるという考え方に転じるわけである。しかしながらそれではもちろんいけないわけで、赤と青を混ぜて黄色にしたというのが70年代以降の議論である。それでも79年以降はうまく説明できず、色々考えた挙句、"保守党による行政改革は、現在の行政法の核心部分と衝突し、正義・公正といった主概念が経済・効率・実効性といった経済三兄弟に王位を簒奪され、しかも行政の統制手段としての法の支配が、会計検査院と実績評定値の前にひれ伏してしまったのではないか"、"保守党の青の行政法だ"と彼らは考えた。

 こういう具合で、うまくとらえられきれていないのが実情である。そこでもう少し具体的にCitizen's Charterというものをみてみよう。市民憲章と訳されていることがあるが、これははるかに誤訳に近い。中身は行政の内部統制の手段として、まずそれぞれの執行長に明確な行動目標を掲げさせる。そのための行動のスタンダードを作らせてその水準に見合う行政をしているか、していないかを消費者たる市民に判断させるという考えにもとづく統制手段である。まず対象範囲は、利用者にとってサービス提供者を選択しようにもできない分野であり、サービス提供機関に優れたサービスを提供するようなインセンティブを与える工夫としてこの計画がある。それゆえ、公共部門と独占的要素が残る民営化された公共事業が適用対象となる。具体的には電気・水道・ガス、それから一般的な行政部門や裁判所も対象に入っている。どういうような考え方でやっていくかというと、まずスタンダードを作らせ、それぞれの省庁の公共サービス水準を提示させる。そしてそれに対しての情報を公開させる。それをもとに消費者に選択をさせる。またスタンダードを設定する場合には利用者の諮問を行う。つねに丁寧、親切に対応し、間違いがあった場合には丁寧にお詫びをする、改善する、補償金を払う。そういうことを重ねて最終的には公共サービスの部門ごとの効率的・経済的なサービス提供を実現するという考え方である。市民を消費者として見立て、選択を与えるというのはアナロジーでフィクションであるが、そこで省庁に自助努力のインセンティブを与えるということが目標になった。

 これが、保守党政権が91年から10年計画で導入したCitizen`s Charterのもともとの形である。これをもとに毎年ごとにスタンダードをどれくらい達成したかについての年次報告書を出させる。これは行政庁で自己点検をして、必要に応じて外部点検を受けさせるものである。報奨制度として成績がよかった機関に対しては優良マークをつけて、それを公表する。そして苦情申し立てについてのもう一つのポイントは、それぞれの官庁内=サービス提供機関での内部的な苦情処理手続きを充実させることである。こういうわけで、まず不明確であった行政サービスを数値化する、目標化するというのが一つめの特徴であり、もうひとつは紛争については訴訟を立てず、内部で苦情処理させるということである。

 このようにすると伝統的な行政法とどのように衝突するかというと、まず例えばスタンダードを設定する場合、それが曖昧であったり不公正、不合理である場合、誰がこれを矯正するのかという問題が出る。公共サービスであるから、スタンダードが変に設定されると、それは多くの人々の利益に損害を与える。従来であれば裁量権の統制という手法で訴訟を行う、あるいは大臣に責任を問うという形で行われていたが、個々のサービス機関にスタンダード設定権を与えることになると、それを全部チェックすることは難しく、スタンダードは法的拘束力のない行政上のガイドラインに過ぎない。内部苦情処理手続きにしても、誰が苦情処理をするのか。例えば処分した省庁そのものが苦情処理をすると、一見迅速にみえるけど、伝統的な考え方では検察官は裁判官になれない訴追する側は裁く側になれないというコモン・ローの正義の原則なので、不利益処分や利益的処分を行った者がその見直しをやるというのは処理手続きとしてはアンフェアーなのではないかという考え方にもなる。このようにいくつも言い出すと、伝統的な発想と衝突する部分が出てくるわけだが、ともあれ逆に、ここでのメリットは何であったかというと、非常に柔軟であるということである。公共サービスが年々、とりわけ民営化によって生活を変えていくコンテクストでは、それぞれの官庁がニーズに応じた行政スタイルをとらなければならないという要請があり、こういった法的拘束力のない事実上のガイドラインをつかってニーズに応じたレスポンシブな行政を迅速に行うことができるといったことがメリットとして挙げられる。それから先ほどのアンフェアネスを抜きにすれば、苦情処理手続きも裁判所よりは迅速に行われるし、実効的なものが与えられる可能性がある。例えば裁判の場合、お金の問題になるが、結局欲しかったのはお詫びだったというような場合、詫び状をもらったほうが早いという場合、Citizen's Charter Programmeのやり方のほうがましなわけである。

 おもしろいのは経済三兄弟的(経済・効率・実効性)な考え方のプログラムが、97年に政権党に返り咲いた労働党においても継承されている点である。労働党は97年の段階では諮問を行って、こうした方法を続けてよいのか意見を募っていたが、98年に労働党政権としてどのいう態度でこれを継承するかということを明確にした。大切な点は、骨子がそのまま残っているということである。対象範囲は全く同じであり、報奨制度は基本的には同じである。指導原則のところは少し違う。スタンダードを設定する、情報を開示するといところは全く同じだが、違うのはinvolvementというのが非常に強調される点である。保守党政権の下でのCitizen's Charter Programmeは諮問をできるだけするということを言ってはいたが、現実には省庁が独自にトップダウンの方式でスタンダードを決めていて、そこに批判があった。そこで関係部局の現場担当者、利用者たる市民、利益団体を積極的にスタンダードを設定する際にinvolveさせるということである。こうしておけばスタンダードが不合理あるいは不適当であることを事前にある程度食い止めることができると考えられた。もうひとつの新しい点は、やや法律的な考え方が反映されてきたと言ってよいが、"Treat all fairly"という考え方である。極論すれば、金のためなら切り捨てるものは切り捨ててよいという潜在可能性をもっていたCitizen's Charterであったが、社会の底辺に存在する人々を含めてすべての人々にあまねく平等に、十分にサービスを行き渡らせるための指導原理がそれである。それ以外のところで特に大切なのは、"work with other providers"である。それぞれのCitizen's Charterが別々に保守党政権の期間には出されていたので横断的なつながりがなく、似たようなプログラムを出していてもお互いに連絡がないからよいサービスの実践例というものが学ばれなかった。それをリンクさせていこうというものである。これが実効確保の新機軸につながる。すなわちこれまでは、うまいことをやった人に花マルをあげましょうというCharter Mark SchemeだけだったのにBest Practice quality networksを加え、最もよい実務をやっている情報を開示してそれぞれの人にネットワークとして提供していこうという考え方である。そのことと情報公開法がリンクする。またBest Practiceであるかを判断するのに、無作為抽出で5千人にアンケートをとるというThe People's Panelも設けられた。

 このように手法は違うが、ベーシックな考え方は保守党の時代から受け継がれている。そこでこのCharter手法はどういうところに特徴があるのか。まず根本的には、行政法で今まで伝統的に考えられていた法、権利、訴訟、大臣の責任といったビッグ・ワードのどれにも訴えないということである。つまり擬似競争の導入による擬似市場原理的な統制メカニズム、なるべく数値化し目に見える形で市民に提示していくというところに根本的な特徴がある。このことを法律の議論とからめると、あえていえばソフト・ローを活用することによって個々の行政サービスの基準、その責任者の明確化をすることになる。ソフト・ローなので法的拘束力はない。これに対して伝統的な考え方は法にもとづく、法の留保のある行政、個人の権利法、司法的救済の確保であったので、かなりコントラストが明確にあらわれている。もうひとつは、行政のいわば自主的な苦情解決と外部監督の制度の導入である。内部の苦情処理手続きを充実させるとともに、それがアンフェアーな方向にいかないように外部から監督を入れるというのが傾向としてうかがえる。まず内部の苦情処理手続きのメリットは、苦情であれば何でもよいということである。暴言を吐かれたとか態度が悪かったとか顔つきが悪かったとか服装が汚らしかったとか、実際そういう苦情があるくらいなのだが、そういうものまでも受け付ける。外部監督については、近年の傾向として保守党政権の後半以降、苦情の最終的な処理者を処分庁から独立させる傾向が出てきた。その最たる例は、税務行政においての苦情一般を取り扱うAdjudicatorという人の設置である。これは93年からすべてに先行して行われてきた制度である。Adjudicatorというのは誰それさんの課税額はいくらであるといった査定の是非は問わない。それはきちんと別の税務審判官がいる。Adjudicatorがやることは、税務処理の態度が悪かったとかアドバイスのやり方が悪いから困ったとか、苦情めいたことの処理である。独立性からいうと、まず税務署との間の契約をする。任期は3年で、政務処理是非以外の苦情すべてをフェアーに税務署が内部処理したかどうかを監督するという責務で契約をかわす。第一次的には税務署内で苦情処理をするけれども、その処理に不満をもつ人がAdjudicatorに駆け込む。ちょっとオンブズマン的なところがある。Adjudicatorは非行と不能力ない限り解職されないということも契約事項に入っている。現に93年からの二期目のAdjudicatorを同じ人が務めているが、しかもAdjudicatorは民間の経験のある人でもよく、現在の人は開発公社の理事をやっていて民間の業務にも詳しいが公務員ではなく兼業が可能である。しかしながら審判においては独立の審判能力を事実上確保しなければならない。皮肉な法律家は、そういうことをやってもし税務署が無視したらどうするのだという質問をしがちであるが、私がそういう質問をしたら万が一そういうことがあったら報道関係者を呼んでプレス・コンファレンスをやると言っていた。このよに、Adjudicatorは、かなり非法律的なやり方でプレッシャーをかけ、改めさせるということを全面的に体現しているような制度である。こういった特徴から出てくることは、市民を消費者として見立てて、市民との間で行政が対話しながらフィードバックして、行政の改善を常時求めるという考えである。従って現在のイギリスでは、行政法学者の間でこうした新しい議論に関心をよせていて、これをどう行政法体系に組み込むかということを模索しているところである。

2.現在の労働党政権による憲法改革

3.日本との比較の視座

<中村民雄>