セミナーの記録と日程

全所的プロジェクト研究

第9回プロジェクト・セミナー

1999年12月21日 ◆於:社研大会議室 

先進国における国家変容—日独比較の視点—  報告:平島 健司

1980年代以降のイギリスの憲法・行政法改革  報告:中村 民雄

第9回プロジェクトセミナーでは平島健司氏と中村民雄氏から、それぞれ報告がなされた。

【平島 健司】  先進国における国家変容—日独比較の視点—  →【討論】

1.はじめに

2.先進国間の比較をめぐる視角変化

 90年代を迎えた先進国では、戦後に築かれて安定した国家が、21世紀においても維持されるのか、という点をめぐって議論が高まりつつある。戦後国家は、さまざまな局面における変動の圧力にさらされている。例えば、国内では、産業構造の変化に加え、高齢化や少子化による人口動態上の変化や、無党派層の増大など政治行動の変化がある。対外面では、多国籍企業や大量の資本が瞬時に国境を越えて移動する、いわゆるグローバル化の圧力があり、この結果、国家は金融・通貨政策における自律性を奪われた。

 このような変化は、各国に共通しているようにも見えるが、日本と欧米における議論のされ方は微妙に異なる。株式市場においてバブルの発生が懸念されるものの、情報通信革命を先取りして繁栄を謳歌するアメリカとは対照的に、日本とヨーロッパでは危機意識が濃厚である。大陸ヨーロッパでは、対外的圧力すなわちグローバル化や欧州統合が、戦後体制に圧力を及ぼし、福祉国家に再編を迫る、という図式で議論がなされる。いかにして「ライン型資本主義」(Michel Albert)を維持しながら対外競争力を回復するのか、とか、コーポラティスト的政治的枠組みを生かして福祉国家を改革し、雇用創出に成功した「オランダ・モデル」や「デンマーク・モデル」をいかにして模倣するか、といった議論がある。ここでは、アングロ・サクソン型との区別が前提にされており、議論は、戦後体制を受け継いでいくために、どのような制度的改革が求められているのか、というように設定される。ドイツでも、シュレーダー政権が、第3次産業部門に300万人の新規雇用を創出すべく、国家が、低賃金労働にも社会保険給付を行う方策を「雇用のための同盟」において模索している。

 これに対して90年代の日本では、80年代には称賛の的であったマクロ経済、企業システムが全面的に否定されるだけではなく、有効な政治改革や行政改革を提示しえない政党政治の無為無策と既得権益と古い規制権力にしがみつく行政官僚とが強調された。日本ではまさに、「必要な諸改革を成し遂げる力がないという判断が広がった」のである。

 しかし、日本に関するこのような評価は正確さに欠けると言わねばならない。80年代に「戦後国家の清算」が唱えられて以来、その成否を別とすれば改革は、ほとんど持続的な政治的課題として掲げられ続けてきた。また、90年代をめぐる言説(「失われた10年」)の射程は、日本一国に限定されており、他国への言及は、断片的であり、印象論に止まる。政治的解決を要請させるに至ったさまざまな問題が、日本に特有のものなのか、先進国に共通するものなのか、について考慮するものは少ない。他方、実現された限りでの中央省庁改革や地方自治改革が、全く無意味であるとも当然言えない。

 政治的自己改革の能力について語るためには、グローバル化を初めとして、国家を取り巻くさまざまな環境変化を腑分けした上で、それらの変化が先進国各国に対して及ぼす影響を個別的に確定することが必要となる。その後に、政府を初めとする主体が、どのようなイデオロギー、戦略からいかなる改革をめざし(支配的なモデルとしては民営化、規制緩和、分権化などがあった)、対応がどのような固有の条件によって拘束されて帰結したのか、を比較する作業が求められる。実際、ヨーロッパ諸国に関するより新しい比較研究は、国家は一様に「後退 retreat」したのではなく、各国ごとに独自の仕方で「再編成された reshaped」と指摘している。

 そのような手続きを踏まえた個別的政策分野の比較を通して、日本の国家がどのような変容を遂げたのか、を一方では国家と社会の関係、国家と市場経済の関係について、また他方では、対外関係においてどのような変容を遂げたのか、を他の先進国との比較において検討することが課題となる。

3.日本を含む比較の問題性

4.ドイツにおける新保守(自由)主義改革と国家

5.ドイツと欧州統合

6.国家統一

7.ドイツ・モデルの破綻?

8.構造政策と競争政策

9.ドイツの国家変容と日本の国家変容

<平島健司>