セミナーの記録と日程

全所的プロジェクト研究

第5回プロジェクト・セミナー

1999年9月21日 ◆於:社研大会議室

報告:橘川 武郎
1990年代の日本社会をめぐって

コメンテーター:仁田 道夫

9月のプロジェクトセミナーは、企画委員長の橘川武郎氏から、新しいプロジェクトで何を焦点として検討していくか、4月からのセミナーや企画委員会での議論で出された論点を整理する目的も含むかたちで、報告がおこなわれた。

【橘川 武郎】  1990年代の日本社会をめぐって

討論

討論は多岐にわたったが、特に以下(1)〜(3)の点に議論が集中した。

報告者の、A 政府、B 市場、C 企業の関係の三角形作業図(三位一体的構図をめぐって)

  • この図は産業政策に傾斜しており、労使関係、社会政策、所得政策等はこの図では取り上げにくく、大陸ヨーロッパ諸国ではこの図は当てはまらないのではないか。
  • 政策の実施にあたって問題解決のプロセス、どこがイニシァティブをとるか、などが重要だが、例えば政党政治はこの図のAに入るか。
  • B市場は、A政府・C企業と異なるレベルのものであって、こういう三角形の図にはならないのではないか。
  • 政府、企業、とアクターを設定するなら、3つ目のアクターは家計とすべきではないか。
  • 企業は市場の構成員であって別の主体ではない。登場人物として市場と企業を分けるのは違和感がある。
  • 橘川氏は経営史の専門なので、企業の経営から見て、その外から様々な作用を及ぼす二つのシステムが存在する、ということを表した図ではないか。そうだとすると抜けているのは「社会」である。
  • 政治学の専門である私の場合、この図に違和感はない。例えば行政を含めた政治で規制の対象を組織化する場合、国際的な自由な市場との齟齬などの問題は、この関係図で表すことが出来る。

これに対して報告者から以下の応答があった。

  • これはあくまで問題発見のための作業図である。90年代に政府のあり方が問われ、企業のあり方が問われていて、この状況には市場のインパクトが大きな役割を果たしている、ということを整理するための図柄である。
  • 三者は同一次元にない、ということは分かるが、市場と企業、政府と企業、政府と市場など関係の中で起こる問題が重要であり、それを考えるための図である。
  • 「社会」についてはこの三位一体図に組み込めなかったので、報告では「臨床社会学的論点」という項目を立てた。
  • 90年代の混沌とした状況に光を当てるというとき、企業からはいって考えるとこの三角図になる。プロジェクト研究のメンバー皆が、混沌に光を当てる、それぞれの図柄を描いて欲しい。

キーワードの一つとしての「市場主義」をめぐって

  • 市場主義は定義のきちんとしていない粗雑な言葉である。たとえば日本の護送船団方式の金融行政がうまくいかなくなって、規律づけのために市場を導入する、あるいはアジアの金融危機に関して、資本移動を規制するのでなくアジアの金融市場がもともと持っていた病巣に市場メカニズムで対処する、という議論を、世間では市場主義・市場至上主義と呼んでいる。市場主義という言葉そのものが、市場は悪さをするものだというイデオロギーであり、その裏にはナショナリズムがある。
  • このプロジェクト研究で、今まで社研の共同研究で不足しがちだった「市場」という観点を入れるのは賛成だが、市場主義が必ずしも世間の大勢ではないので、イデオロギーとしての市場主義批判を大々的に展開する必要はない。
  • イデオロギーは政治学では重要な問題である。90年代の日本社会が大きく変わりつつあるとしたら、その中でどういうイデオロギーが主要な役割を果たしているかを考える必要があり、その場合市場主義は検討対象の一つである。
  • 政治学ではイデオロギーやアイデアが政治動員の重要な武器であるとされるが、その効果に関しては意見が分かれる。私はもう少し実物の影響で政治が変わると考えている。イデオロギーやキャッチフレーズについては、実証を重ねていくことで、その価値的な側面の影響を希薄化し、分析概念として陶冶することは出来るのではないか。

これに対して報告者から以下の応答があった。

  • 今回のような共同研究で共通に取り組むべき問題を考えると、市場のインパクトとか市場主義といわれているものが、まず眼前にある問題群の重要なポイントとして浮かび上がる。
  • 私は「市場主義」が問題になっている状況を分析の対象として取り上げようというのであって、イデオロギー批判を展開するつもりはない。

ミクロ経済・マクロ経済という分け方をめぐって

  • ミクロの産業政策を考える場合でも、それが経済全体に及ぼす影響を考えるときはマクロの議論となり、マクロとミクロは分離できないというのが近代経済学のここ20年ぐらいの流れであって、ミクロ・マクロの二分法は危険である。
  • ケインズ理論がミクロ理論から大きく飛躍していて、当時のミクロ理論で書ききれない部分が多く、ミクロとマクロを切り離さざるを得なかった。それがここ30年ぐらいの間にミクロ理論が進歩して、分ける必要がなくなった。

これに対して報告者から、そういう状況の変化自体が市場について考えるヒントの一つでもあるのではないか、という応答があった。

その他

  • パフォーマンスの比較という発想から抜け出て、1システム=1パフォーマンスではないということが、このプロジェクトでの実証研究を通じて析出されることを期待している。
  • 日本の生産システムの話と条件の変化の話については、両者を一緒に論じるのでなく、二つの入り口からアプローチすることによって、システムと条件変化の関連が見えると考えている。
  • アジアの雁行的な発展については、日本が単独で引っ張るという単純な構図が崩れ、成長経験後のアジアに何らかの共通性が生じている、と見られる時代だと思う。

等々が議論され、最後に報告者から、90年代の日本社会をこのプロジェクトの主要な研究対象として扱うとき、メンバー全体が何をポイントとするかインテンシブに検討して欲しい、マーケットがどういう位置づけにあるかは先ず重要な問題で、そのインパクトがどういう役割を果たしているか実証的に分析を積み重ねることで、90年代がどういう時代であったかが見えてくるのではないか、とまとめがあった。

<文責:土田とも子>