セミナーの記録と日程

全所的プロジェクト研究

第21回プロジェクト・セミナー
韓国の企業ガバナンス

2000年7月18日 ◆於:社研大会議室  ◆司会:末廣 昭
報告:高龍秀(コ・ヨンス)甲南大学経済学部教授
コメンテーター:星野妙子(アジア経済研究所)、橘川武郎

以下は第21回プロジェクトセミナーの議論の概要である。

高龍秀】  韓国の企業ガバナンス

I

コメント

星野妙子氏

97年危機まで、なぜメキシコはダメで韓国はよいのかという劣等生・優等生的な見方があったが、97年以降をみてみると、同じような動きがある。80年代から90年代の動きをみてみると、いずれも好況と危機を繰り返している。結果的に、両国に共通しているのは、危機があると、IMF、世銀の介入があって、アングロ・サクソンモデルが入ってくるが、適応できずに94年のメキシコ金融危機のようなことがおこるわけだが、メキシコと韓国をみていておもしろいのは、メキシコが危機の時は韓国は非常に好景気で、80年代のメキシコは「失われた10年」で80年代の韓国は「繁栄の10年」であったことである。メキシコでは、94年に、97年の韓国型の危機を経験するが、94年の危機は短期に収束し、メキシコの企業はわりと好調だが、一方韓国では大変なことになっている。
なぜそうなるのかと思ったが、高先生の本を読んでいてわかったのは、まず企業の最近の状況をみてみると、経済危機で韓国の企業はガバナンスを非常に問われるような時代になっている一方、メキシコでは企業ガバナンスという言葉がほとんど意識されていないことである。研究もほとんどない。メキシコでは、かえって90年代に企業ガバナンスで世界の潮流から逆行する動き、例えば、議決権を持たない株式を発行できるような法令改正がなされ、少数株主が企業のコントロールを容易にするようになっている。そういった所が韓国と対照的で、なぜそうなるのかということをみてみると、高先生は企業と金融システムとの関係で発展を説明されている。韓国の場合、70年代以降、政府が資金を吸収して財閥に流し、財閥が発展するという構造があったが、メキシコの企業の場合、政府が資金を集めると、公企業に向かう。民間企業の場合、地方の再投資や海外からの借り入れなり、自分で調達しながら大きくなる。メキシコは他のラテンアメリカと似た構造をもっているので、韓国とラテンアメリカを比較した場合、企業と資金調達と政府の関係が全く異なる。
82年にラテンアメリカで対外債務危機が起こり、それを契機にアングロ・サクソ流のIMF、世銀が構造調整を徹底的にやらざるをなくなって、その時、矢面に立たされたのは企業ではなく政府であったわけで、政府が対外債務問題におさめ、民間企業がそれに乗っかる形でその問題を解決している。企業自体に圧力がきていないという側面がある。
改革の過程で、韓国企業がどのように政府主導でリストラを行っているかというお話があったが、メキシコの場合、政府が介入せず、市場原理でやるわけで、系列企業を売り払うなどして資金を調達し、結局、業種間の整理がうまくできている。同じ時期に公企業の民営化政策が行われ、企業が持ち株を交換するような状況が90年代前半に生じている。
次に、韓国の財閥がなぜ規制できないのか、なぜ持株会社制度が発展しないのかということを疑問に思った。メキシコの場合、頂点にいるのが持株会社で経営責任が法的に規制できる。持株会社にすると少数株主のコントロールが容易になるというデメリットもあるが、政府としては規制しやすくなる。韓国がなぜそうならなかったのかということが、不思議に思われる。
三つ目は、コーポレイト・ガバナンスができる条件が、韓国の場合、小さいということで、資本市場のプレイヤーが財閥に握られ、銀行も審査能力がないということであったが、高先生の本の中では、資金の国際調達がかなり行われということが説明されているが、メキシコ企業でも成長の資金は国外が主である。そういう場合に、国内よりも国外のチェック機能がかなり強いのではないか。国際金融市場がきつい要求を突きつけるなり、市場からの退場を命じるなりして、そういう規制が企業ガバナンスを正しい方向に導かないのかと思った。もうひとつは、最大株主がマジョリティを握っているというのはメキシコも同じで、こういう状況どうやって規制できるのか。マジョリティ・オーナーがいる状況でできるのか。そうした状況が、発展途上国のように所有が分散している状況で、コーポレイト・ガバナンスを難しくしているのではないかと思った。
四番目は、メキシコと比較して韓国は財閥の歴史が非常に新しくて、まだ世代交代を経験していなくて、現在の危機も経営の危機と世代交代の問題が一緒に出てきているのではないか。メキシコの場合は、今、三代目、四代目が多く、過去に持株会社を活用したり、事業分割の経験がり、最近は、比較的スムーズに世代交代が行われている。韓国が、そうした世代交代がどのように行われていくのか、今後の動向として非常に興味深い。

橘川武郎氏

いちばん印象的だったのは、最後の部分で、韓国が今後アングロ・サクソンモデルに進むのかなと思ったのだが、6位以下の財閥は日本のメインバンク制と言えなくもない方向に進み、上位の財閥では内部の所有比率がむしろ高まって、そこで弱まっているはずの政府が出てくるしかないという。それだけ聞くと、本来行くはずの方向にいかなかったという話になるが、このような話は、実は90年代、アングロ・サクソン以外のすべての国で共通の問題で、方向としてはアングロ・サクソンのモデルが力をもったけど、実態は各国の条件によって違ったということになる。それはそれでよいのだが、そうだと話が進まなくなってしまう。もう少し突き詰めて、分析の基準をもう少し明確にする必要があるのではないかと思った。
日本のことを背景にして四点ばかり申し上げたい。コーポレイト・ガバナンスに際して、アングロ・サクソン型に対して日独型と言われるとき、ポイントは二つあったと思われる。ひとつは、企業と金融機関の関係(メインバンク制のような)、もうひとつは労使関係である。この二つが、本来、密接に関わっていて独自のコーポレイト・ガバナンスがあるということが言われてきた。日本でもそうだが、いつのまにか労使関係の議論が後景に退き、銀行と企業との関係でコーポレイト・ガバナンスを論じるという方向になっている。分析とポイントとしては、企業の中の労使関係をみて、メインバンクと労使関係との関係をどうみるのかということが一つ目である。
二つ目は、日本ではメインバンクについて言っていた人が以下のような言い方をする。すなわちモニタリング機能自体は元々あったが、80年代に日本が金持ちになって直接金融ができるようになって、事業会社が銀行から金を借りなくなり、銀行は今までモニタリングしていた成長会社ではなく、他に貸し手を探し、それは皆土地がらみであって、そこの部分のモニタリングは得意ではなかったと。間接金融から直接金融に変わったことによって、90年代の「失われた10年」の事態が起きている、というわけである。
ここで問題にしなければいけないのは、間接から直接に変わったことによって確かにモニタリングのルートは失われたが、そのことが、元々銀行が事業会社をきちんとモニタリングしていたということの証明にはならないことである。モニタリングしていようが、していまいが、モニタリングのルートが失われたということである。韓国の場合、モニタリングの主体は政府なのかもしれないが、もし80年代以前にモニタリングがきちんとなされていたのならば、90年代に財閥改革という形で政府が介入せざるを得ないという事態が生じたことは、過去のモニタリングがおかしかったということを示しているのではないか。これは日本でも全く援用できる議論だが、ルートの問題とモニタリングがきちんと行われていたかということを、きちんと分けて歴史的にみなければいけないのではないか。
三つ目の点は、90年代に間接金融から直接金融に変わったということは日本も同じだが、二つ説かなければいけない問題がある。それは貸し手と借り手の問題である。直接金融で借りる側になった財閥、企業において、借り方に問題があったのではないか。それから貸す側においても、新たに借り手をみつけなければならず、その貸し方に問題があったのではないか。こうした90年代の問題は80年代の状況を映していて、90年代の失敗をみることによって、80年代以前の借り手、貸し手の問題が見えるのではないか。トータルに言うと、金融機関を含めて、外部の人間が現場のモニタリングをそもそもできるのかということに疑問がある。元々モニタリングが可能であるという発想に問題がないか。そもそもアングロ・サクソン型の大前提になっているところの、外部の第三者が事業会社のモニタリングができるということが理論的に問われているのではないか。
最後に、それではどうやってモニタリングするのかということになるが、私は、日本の状況からすると、事実上、内部株式持合いで、労使関係が緊密で、内輪だけで済んでしまうようなところがモラルハザードを起こさずにそれなりに機能していたのは、企業間競争であったと思う。ところが90年代には、企業間競争のあり方が変わって、競争自体がグローバルになって、競争のプレイヤー自体も変わらざるを得ない。そこで色々コーポレイト・ガバナンスの問題が言われているのではないかというのが日本の状況で、韓国の「ビックディール」というものも、グローバル競争にたえ得るように韓国のプレイヤーを整えているプロセスだとみることができるのではないか。ただし、その時、日本と韓国が一番違うと思うのは、プレイヤーの経営主体であり、韓国は複数の企業からなる財閥で、日本は財閥解体を経て個別の企業である。個別の企業の方が外からの透明度は高いので、財閥という仕組みをとっているがゆえに、見えにくい問題があるのではないか。比喩的な言い方をすると、韓国にとって必要なのは、90年代のIMF路線というよりは、日本におけるGHQのような財閥解体という路線ではないか。

質疑応答

司会:国際機関や日本の研究者がよくやるのが、メインバンクと事業会社、国際機関の場合はファイナンス・セクターとノン・ファイナンス・セクターの問題で、ファインナンス・セクターの場合、とりあえずインディペンデントとであることが前提だが、高さんが言われたように、韓国の場合、政府が銀行の規制をやっていて、第二金融は財閥が入っていて、タイの場合、もっと徹底していて主要銀行のトップテンが、そのようになっている。そういう意味では、ファイナンス・セクターと、ノン・ファイナンス・セクターを分けて考えること自体ナンセンスである。事実認識からすると、世銀の研究者や私の会う外国人の研究者は、そこのところをほとんど知らない。その事実の上で、ファイナンス・セクターがどのような役割を果たすのかという問題があるはずで、そこをごっちゃにするとまずいと思う。日本の場合、昔だと富士グループとか、三井とか三菱の中で銀行が核になるけど、韓国の場合、それらが一体化し、タイではむしろ金融機関を核にして事業会社、製造業などが出てきて、そこで財閥ができた。そうした違いを念頭に置く必要もあるだろう。

他の人も質問があると思うので、まず、第一ラウンドのレスポンスを高さんに簡単にやってもらって、時間をフロアに残したい。

高:大変大きな問題を指摘していただいた。すべての問題を手短には答えられないが、星野先生が言われた、韓国で内部所有比率が高いというのは問題であって、これは背景があって、90年代の中頃以前は、財閥の内部所有比率を制限があったが、循環出資はなかなか規制しずらいということで、総額規制(出資総額を資産の何%以下にするといった)制限をしていた。それが94年くらいに撤廃され、系列社の所有が可能になった。これが問題だということで、再び規制を復活させることが決まっているはずである。
橘川先生の言われた問題に関して、IMFが入ったとき、韓国で財閥批判の強い学者などは、昔日本で財閥が解体されたように、IMFが入って財閥を解体するのではないかという議論もあった。ところが、所有と経営支配の部分、特に株式所有の部分ではIMFの影響力はかなり弱かった。
星野先生の言われた、世代の問題に関して言うと、実例に出したでは現代グループで創業者がまだ生きているが、LGグループでは三代目なっていて、SKグループでは二代目が通貨危機の最中に亡くなり、三代目がすごく若く、専門経営者がグループの臨時会長になっている。三星グループも二代目である。韓国では世代が変わる時に、長子に基本部分を分割し、次男、三男にも小さな企業を分け与え、財閥が分家する。現代グループは創業者がまだ生きているのでワンマン経営的だが、三星、LGになると、そこまでワンマン経営ではない。

司会:韓国の場合、自由化の後、危機を経て、政府の役割が再び高まっている。政府の規制緩和だとか国際機関の言っている市場原理にもかかわらず、実は総額出資規制も事業再編も大統領権限で命令してくるとなると、自由化の流れにおける政府の役割とは何なのか。これはアジアの中で出てくる問題であり、ぜひ論じて欲しい問題である。

それではフロアの側から質問なりコメントなり出していただきたい。

A:負債比率の軽減の仕方と企業のリストラの方法を教えていただきたい。

高氏:負債比率を減らした際に、いちばん大きいのは資産の売却、例えば三星グループでもいくつかの部門を海外の企業に売却した。系列社数を減らすというのも資産の売却によっている。最後の出資転換というのは、中堅企業以下でとられている。人員については、過去、失業率が99年初頭に最も高くなったが、それまで銀行の社員の3割が減ったというかなり強烈なもので、財閥の部門でも十数%の正社員が減っている。

B:持ち株会社が禁止されていたという政策、立法者の意図は何か。相互持合も禁止されていたというのは、日本では占領軍の意図も働いて、財閥解体の一貫でそうなっていたが、韓国ではどうなっていたのか。

高氏:韓国では1950年代から経済の担い手は財閥であった。まずアメリカの援助物資を当時の李承晩政権と財閥が有利に手に入れて、財閥が成長するが、その段階から上位財閥に経済が集中し、その段階では国民の財閥に対する不満というのはすごくあった。李政権が倒れた後も、国民の世論は財閥を改革せよということであったが、その後、朴政権は財閥の資産を政府に償還させた。50年代には銀行は財閥系列で、財閥は銀行の株式を持っていたが、その分を政府に償還させるという方法をとった。歴代政権は、初期にはかなり強い財閥改革を打ち出す。その背景には財閥に対する国民の不満があって、持株会社を認めなかったと言える。

司会:総帥あるいは総帥を核とするグループ総帥制度、社長団運営委員会というのは、韓国の門柱という家族制度に基づくと理解するアメリカ人はけっこう多い。僕は、それは全く関係ないと言っていて、これは企業の組織が、ある環境の中でそういう道を選んでいるのであって、ファミリー・ストラクチャーにもっていくのは困ると思うのであるが、そこを議論して欲しいと思う。

B:現代と三星では財閥の構造が違うということは指摘されたが、その違いもおもしろい。

高氏:三星グループの会長は、現代グループの会長と比べるとあまり表舞台に出ない。それに三星グループ会長というのは、意志決定機構の5名のメンバーではないのは異例だという分析もあって、二代目、三代目になると、あまりワンマン経営ではないという側面もあるのかと思う。現代グループでは創業者の圧倒的な影響力があって、名誉会長を辞したが何も変わらないと言われ、その辺は韓国独自の儒教的な家長の力は、一世の場合はまだ残っているのかなという感じもする。もちろん、それだけでは現代グループの経営の側面を説明できないが。

C:財閥に対する政府の規制というものをどのようにとらえたらいいのかということだが、政府は国民の不満を受けていくつかの目に見える政策もとるが、基本的には支援する体制で、その結果巨大な化け物のようなものができてしまったのではないか。97年以降のアングロ・サクソン型のシステムで置きかえるということは難しくて、基本的な方法は、政府の介入によって、政府と財閥の関係を続くような形で処理していかざるを得ないのかなと思う。それは50年代以降続いてきた政府と財閥との間の、いわばハネムーン関係を、多少リバイスされても維持しようとしているのではないか。

司会:同時に政府という場合、ここでは誰を指しているのか。自由化を進めてきた財政経済部(日本でいう大蔵省や通産省を集めたようなもの)がある一方で、財閥を規制していく場合、政府の政策というよりは大統領の権限でやっている。政府の政策という時に、通常の大蔵省や通産省がやっている政策ではとらえきれない面がある。IMFや世銀をバックにしてどの省がどのような権限でやっているのか。公正取引委員会の権限は、韓国では強いと思うが、どのくらいの権限を持っているのか。

高氏:やはり財政経済部と金融監督委員会が財閥改革について前面に出てくる。金融監督委員会は首相に直属している。

D:アングロ・サクソンモデルというのは何であるのか。ここでは定式化されているが、アングロ・サクソン、特にアメリカモデルも時代と共に変遷してきている。第二大戦前のアメリカモデルは、今の韓国にぴったりである。第一期アングロ・サクソンモデル、第二期、第三期のようなものがある。次に、内部所有というのは持ち合いであるが、増幅していって、どこかで外れると、ファミリー支配のない財閥というのはあり得るのか。また、資産価格が変動した場合、誰がリスクを負うのか。

E:橘川さんがモデルを考える基準の際の労使関係に触れられているが、レジメに書かれている98年2月の時点での政策(整理解雇制導入、勤労者派遣制度施行)が推し進められていった場合、全体としては労働組合の役割は小さくなるといえるのか。それに対して99年5月以降の労使政委員会というのは、少なくとも労に関しては労働組合が労働者側を何らかの形で掌握しているということを前提になるのではないか。この両者の関係がどうなっているのか。ポーランドで問題になっていることの一つは、労働関係の弾力化ということで、労働法典を改定しているが、弾力活用をやる上では法案を政労使委員会に審議にかけるということになっているが、ところが弾力化を推進しているのは使用者団体の中で新しくできた民間の使用者連盟というところだが、政労使委員会というのは、まだ国有、元国有が優越的だった時代にできて、新しくできた民間の使用者連盟を入れたがらない。従って、ポーランド場合、民間の使用者連盟の進出によって労働関係の弾力化を進めたいという動機がある一方で、それを阻止しようとする動きもある。韓国の場合、今言った二つの流れがどのような関係になっているのか。

高氏:金大中政権がこの二年間、一方では整理解雇制というのを導入して、他方では労使政委員会を発足させ、内容の違うことをどう整理したらいいのかということは難しいが、整理解雇制というのは一年前に法案が通った時、ものすごい反対運動があって、法案は通っても実施は延期されている。それをただちに実行しなさいということをIMFから求められた。金大中さんはそれを実行せざる得なくなった。労使政委員会というのは、金大中さんは当選前から政策として温めていたと思うが、そのメンバーに政府系の韓国労組と民主化運動の流れをくむラディカルな民主労組と、使用者団体、政府が入っている。一方ではIMFの圧力があるが、整理解雇制を実施したら労働界の大反発にあう。労働界が要求してきた教職員組合が認められ、民主労組も合法化されていなかったのでそれを合法化するなど、いくつかの妥協をセットも入れて、その枠の中で様々な問題を議論するという条件で労使政委員会というのを認めさせたという経緯がある。韓国の学者の中にも、そのことをヨーロッパのようなコーポラティズムに似た可能性を見出す議論と、実際には飾り物でIMFの政策を認めさせるだけのものだという議論がある。

                        (記録 渋谷謙次郎)