セミナーの記録と日程

全所的プロジェクト研究

第13回 プロジェクトセミナー

2000年3月21日 ◆於:社研大会議室

1990年代の日本の政治・経済・企業

報告:橘川 武郎・樋渡 展洋・松村 敏弘
コメンテーター:橋本 壽朗・
樋渡 由美(上智大学国際関係研究所教授)・
徳井 丞次(信州大学経済学部教授)

以下は第13回プロジェクトセミナーの議論の概要である。

【全所的プロジェクト研究】  1990年代の日本の政治・経済・企業

討論要旨

司会

 内容面だけでなく互いのプロジェクトの関係や運営面も含めて、オープンに議論していきたい。

末廣

 樋渡氏に質問したい。自由化の国際レジームのところ。 我々のチームは自由化を所与のものとして、それを受け入れた中で自由化推進派と抵抗する勢力とを明らかにし自由化が実施されるプロセスを解明しようということでやっている。自由化の国際レジームという場合なにをアクターとして想定しているのか。アジアの金融危機等が起こって初めてそれらの地域における自由化や構造調整の問題が浮かび上がっているが、80年代はじめにラテンアメリカでも東南アジアでもIMFと世銀が構造調整に乗り出していて、この時期にある程度自由化は進んでいる。

 東南アジアでは80年代末になって国際資本取引と金融自由化が行われた。最終的に誰が、どういう勢力が国際資本取引の自由化の決定的な推進をしたのか、まだ解明できていない。政治のプロジェクトでは、自由化の国際レジームでなにを想定しなにを調べようとしているのか。それがはっきりすれば私たちのチームもそれに呼応してやることもあり得る。80年代の自由化の時は、自由化推進派とそれへの抵抗派という視点では政策論争はなされていなかった。

 橘川プロジェクトの報告で、制度のグローバリゼーションと市場のグローバリゼーション、とあるが、タイでいえば、制度のアメリカナイゼーションといった方がよい。これはコーポレイトガヴァナンスをなにでとらえるかという問題と関係している。80年代の構造調整の提案にガヴァナンスという言葉はない。今回東欧でもアジアでも一斉になぜこの言葉が出てきたのか。

 世銀の出してきたその内容をみるとアメリカナイゼーション、つまり直接金融、企業経営の透明性、会計監査制度のアメリカ化等々である。要求されているのは国内でも国外でも株主と投資家に見える透明な企業経営を目指すということで、対象は上場企業だけである。

 世銀は上場企業に関して完璧な調査を実施しているが、日本が今考えているアジアの経済改革は上場でない企業を対象としている。内容も生産現場に足場をおいた改革など、世銀・IMFが出しているものと非常に違った路線である。今年大蔵省がアジア経済に介入することを決めたが、具体的に資金を投入して動く場合、90年代に決着がついたかに見えたアメリカのシステムと日本システムの勝負が、あらたにアジアにおいて始まるかのようだ。これらからみると「制度のグローバリゼーション」という見方は問題が曖昧になるのではないか。

樋渡

資本移動の自由化について

 なぜ各国が資本の移動の自由化を進めてきたかということの構造的要因を考えると、一定の勢力が利益になるのでそれを推進するというよりは、先進国ではマクロ経済運営、たとえば景気対策などを実施するときに国内の要因だけで考えると為替問題等にすぐに響くということなどをとおして、だんだんに自由化に傾いていく。東南アジア等の開発経済においては、世界的な資本移動の増大が国内で経済問題を起こした場合、開発戦略にどのような変更があったかという問題になる。自由化の国際レジームについて考えてほしいという意味は、経済危機、金融危機等が起こったときに、たとえば東南アジア、ラテンアメリカ等々がそれにどういう対応をしてきたか、どういう内政的な条件の下でどういう国際的な交渉を行ってきたか、また、その地域に利害を持っている大国がどういう対処をしどういう妥協をしてきたか、こういう対外的な要因についても検討してほしいということである。我々はそれらについてやっていくつもりだが、末廣氏のチームも、たとえばIMF・世銀の構造調整プログラムに対して、あるいは日本の改革プログラムに対して、東南アジア諸国がどういう交渉をしてきたか、という問題を入れてほしいということである。

司会

 それぞれの政府がそれぞれの文脈の中で主体的な自由化のアクターでもあった、ということになるか。

樋渡

 そして自由化へ動く画期は何かというと、やはり金融危機が大きいと思う。

橘川

 末廣氏の、日本以外のアジアからみると絵柄が違って見えるという指摘は大変おもしろい。ただし、制度のアメリカナイゼーションに対抗するものがジャパンパッケージをアジアへもたらすというのは少し違うのではないか。制度のグローバリゼーションに関していうと、直接金融や企業経営のアカウンタビリティを高めるというのは、お金を集めやすいというところとつながっていて、日本でも非上場企業で大再編が起きている部分もあり、もっとも活力のある部分は非上場から上場へとどうやって上がっていくかという方向でやっている。対抗軸もアメリカナイゼーションしながら対抗していくようなイメージである。日本以外のアジアの国々で非上場企業が大きな位置を占めているのはそうだが、そういう状況が今後も続いていくのかはわからない。

末廣

 東南アジアで制度の枠組みをみるときに以下のことに気をつけなければならない。経済運営は、90何パーセントはアメリカでPHDをとってきた人々が動かしており、彼らはアメリカナイゼーションに抵抗感はない。しかし同様の人々が帰国後にファミリービジネスを開く場合は、アメリカで学んだ枠組みは傍らへ置いておいて、全く使わない。

 あるいは破産法を導入する場合にIMFの提示したものと逆の内容のものに変えてしまう。日本でも枠組みは学んでも政策金融を存分に使って動かすなど、枠組みとは違ってしまう。そういう実際のものを我々は見ていこうとしている。枠組みだけでグロ−バルスタンダードといわない方がよい。

橘川

 しかしその政策金融も現在非常にアカウンタビリティを求められている。

末廣

 自由化が進んでいけばいくほど規制緩和の中で政策金融を使うことは難しくなっている。政策的な意図としてのグロ−バリゼーション→アメリカナイゼーションと、実際に簡単に国境を越えていくような市場のあり方と、分けて考えた方がよいのではない。

工藤

 三つ橘川氏にお訊きしたい。

  1. なにが変化の原動力なのか。たとえば樋渡氏の発言に、大国の対外的な行動についての議論があまりなされていない、とあったが、こういうことはこのプロジェクトのどこでどのように議論されるか。
  2. 橘川氏は会社主義の生成・発展について議論されたことがあり、会社主義は危機を乗り越えることによって強くなった、90年代ももしかしたら乗り越えられるかもしれないといわれたことがある。松村氏のいわれた、90年代を80年代から見るということとも関連して、これについて今橘川氏はどのように考えておられるか。
  3. 今までのプロジェクトセミナーを聞くと、コアプロジェクトと連携プロジェクトを分ける意味がよく分からない。

橘川

  1. 変化の原動力について。国際的な比較劣位→サービス貿易はOECD諸国の中で日本が入超幅が一番大きい。にもかかわらずこの部分はシェアとして拡大している。サービスに対するディマンドが高まっていて、しかも国際的に何らかの障壁があるので比較劣位にも関わらず拡大していると考えられる。ディマンドの話はかなり重要で、それがIT等々を考えるときにも重要なポイントになっているのではないか。それは日本・ドイツ・アメリカ等々のモデルで考えるのではなく、マーケットニーズで大きな変化があったときの対応のスピードなどの観点から見た方がよい、ということをいいたかった。
  2. 日本「会社主義」は、60年代と石油ショックと2度乗り越えた。70年代は第一次石油ショックに対応して第二次を乗り切った。90年代の不況も91年〜92年と97年と2段階だが、今のところ対応できていない。危機管理能力に変化があったようだ。問題になるものが、60年代は労賃が上がるということでヒト、70年代はモノだったが最終的にはヒトのところで突破した。ヒトで突破したような方法が、90年代のカネに対してはワークしない。この問題を今後クリアできるかどうかは今のところわからないが、カネの問題に対する対応能力をとりあえずつけなければならないことははっきりしている。金融の問題と、たくさんあるお金の使い方がよくわからないという問題など。

  3. 進め方。現在、従来よりもいっそう研究所の意義に関して納税者に対するアカウンタビリティを高めなければならない状況にある。日本社会がいま直面している、解決の道がまだよく見えていない問題群に関して、多くの研究者が複数のアプローチでがんばって取り組む、というところで勝負するしかない。

 コアと連携という言い方には意味がないことがだんだんはっきりしてきた。4月から発足する運営委員会で議論されることとなろう。

末廣

 70年代と90年代の企業の危機への対応についていわれたが、70年代は主として製造業で、ME革命等をやった。かなり限定された企業である。生産現場で対応したわけだが、「会社主義」で乗り切ったといわれた企業がどういうものか考えないと単純に比較は出来ない。

橘川

 「会社主義」は大企業についてである。ただ中小企業も含めて85年あたりに大きく変わった。それを「会社主義」は論理として説明できなかった。流通の変化、開業率の低下などが顕著で、このあたりが大きな転換点だった。

佐藤

 樋渡プロジェクトに参加している三浦まりさんに質問したい。

 「雇用政策は社会保障政策のように政治化していない」とあるが、政治化はどういう意味で使っているか。ここ5年ぐらいの雇用政策・労働政策の立法過程を見ると、国会での修正が入るというのが従来にない大きな変化で、これはある意味で政治化しているといえるのではないか。また、厚生省と労働省では審議会のあり方が違う。審議会で相当議論されていることを含めると、政治化しているといえなくもない。

 雇用政策のパラダイムの変容というときなにを考えるか。ここ10年〜15年は雇用の維持政策からから最近は雇用創出となる。もう一つは予算の支出がどう変化しているかから見ることも出来る。

 雇用政策が中小企業政策だとかかれているが、資金が流れているのは実は大企業であって中小企業ではない。雇用政策は地域対策としての性格も強い。北海道や沖縄などは特にそうである。この側面も見た方がよい。

 また、民間セクターの資金環流とかかれているが、雇用安定事業のお金は税金も一部はいっているが基本的には保険である。民間企業からとって民間企業に回している。

三浦

 雇用政策について、審議会の議論も含めて政策過程を追うのは他のメンバーがやっているので、私の分担は、政党対立軸が流動化しているかどうか、それが政党競争とどういう関係にあるかを分析することである。雇用政策が政党競争の対立軸となっているか否かを政治化しているかどうか、という言葉で言っている。年金や保険と比べると雇用政策は政党の政策対立軸がはっきりしていなくて、政策論争になっていない。

 民間セクターの資金環流について。OECDの、積極的企業政策とパッシヴな企業政策でどういう資金配分が行われているかという調査があるが、日本だけが民間セクターのパーセンテージが高い。これについて検討したい。予算の変化、支出の変化を見ることはパラダイムの変化を見るのに役立つと思う。

 あえて雇用創出も含めた中小企業政策を強調したのは、中小企業が自民党にとって利害の濃厚な部分だからであるが、雇用政策のどの部分を見ていくかは今後も考えてみたい。

佐藤

 雇用調整助成金をOECDが補助金と訳しているのだろうが、それはミスリーディングで、実際は保険である。

 雇用政策は、予算上も雇用創出に移ってきたのが現在の変化である。

樋渡由美

 先ほどのリソースの話に戻るが、社研は、当該のサブジェクトに適切な多くの研究者を国内的も国際的にもコーディネイトし、社研の所員と有効なネットワークを構成することが出来る、そういう豊かなリソ−スを持った研究所であり、こういう共同研究を遂行するのに非常に適したところである。このプロジェクトでは大いに国際的にもネットワークを広げて実施していくとよいと思う。

<文責:土田とも子>