セミナーの記録と日程

全所的プロジェクト研究

第11回プロジェクト・セミナー

2000年2月22日 ◆於:社研大会議室

コアプロジェクト:橘川武郎、大瀧雅之、樋渡展洋
連携プロジェクト:佐藤博樹、大沢真理、中川淳司、末廣昭、渋谷博史、田中信行
コメンテーター:曳野孝(京都大学経済学部)

今回のプロジェクトでは企画委員会を中心に、おおよそ次のようなことを対象として検討することが議論されてきた。
 ㈰1990年代の日本を80年代との連続で説明する。その際、㈪グローバリゼーションの作用と反作用という視角から、日本を中心に各地域を比較する。
 2月のセミナーはコロキウムの形式をとり、以上の㈰、㈪をベースに、1国際的枠組み、2金融、3人的資源、4政府・企業間関係、5社会 の5点について、各連携プロジェクトから見るとどのようなことが言えるか、今後どのような計画で研究を進めるか、他のプロジェクトとはどのように関係するか等々を、各連携プロジェクトリーダーが報告し、問題意識の共有をはかり新しい切り口を析出すべく議論することを目的として開催された。

【第11回プロジェクトセミナー 】  共有すべき課題と視角

討論要旨

仁田

 社研はずっと共同研究をやってそのときどきの課題を研究し、例えば「現代日本社会」では「会社主義」というキーワードで日本の経済・社会を説明しようとした。これはチャルマーズ・ジョンソンの日本論よりは説明出来ているが、60年代からずっと見てくると社研内部からも含めていろいろ批判があるだろう。それぞれの全体研究は批判にどう応えようとしてきたのか、今回の共同研究は今までの成果と自己批判をどうふまえようとしているのか、十分に意識して研究を進めていく必要があると思う。

 それと多少関連するが、11月のワークショップで河合氏から出された、institutional capacity buildingということを考えてみたい。日本の社会科学の系譜で見ると、これは戦争直後の市民社会論と、政治的文脈は全く違うが、関連がある。戦後一貫して日本の社会科学が問題にしてきたことと、今日問題になっている、世界的な社会科学の流れが、どう切り結んでいるのか、そいういう問題関心が必要である。   インドネシアでのコンファレンスで市民社会論がテーマであったが、そこで、市民社会の形成とはinstitute capacity buildingである、伝統的な宗教や血縁・地縁等々に依存しない、ある意味で近代的なinstitutionsが出来て機能し、社会・政治・経済を運営していく仕組みが出来るている社会であることである、と議論された。 そう考えると、現在の日本は50年間かけて形成してきたinstitutionsが機能していないと批判されても仕方がない。特に大学を含めたintellectualsからはバブル時にそれを止める議論はなにも出ないなど、深刻な状況である。官僚制も労使関係のシステムも、現在機能不全を起こしている。外国から見ると何が起こっているのか非常に分かりにくい。社会科学が今まで説明してきた論理では解明できないことが起こっているようである。これらは全体として関連しており、簡単に答は出ないが、こういうことを意識して共同研究を進めるべきではないか。

広渡

 曵野氏、仁田氏のいわれたことと関連して。以前の共同研究「現代日本社会」で出たキーワード「会社主義」では、良きにつけ悪しきにつけ、何か日本に特殊なものがあって、経済的パフォーマンスから見るとある成功した資本主義の型があった、という議論がなされていた。しかし今の曵野氏のお話では、アメリカにも似たものがもっと以前から成立していたということだった。この歴史的にはタイムラグを伴う資本主義のモデルを同時に説明できれば経済学的に意味のあるものになる、と私は受け取ったが、仁田氏はなお、日本は戦後改革に始まってinstitutionsを形成しつつ50年を経てきたが、そのinstitutionsが本当に経済的成功の前提であったのかどうか、という根本的な問題が、90年代には立ち現れてきたのではないか、という疑問を呈された。日本的・特殊的な文脈の中でこの問題も考えざるを得ない、と問題提起された。

曵野

 Institutionsという言葉は、アメリカと日本では非常に違った感覚で言われている。アメリカのシカゴ学派の企業金融の学者、マイケル・ジェンセンは、institutionとかorganizationという言葉は市場の失敗をもたらす不完全市場の象徴である、と述べている。アメリカの経済学ではそういう見方が強い。new institutional economics は経済学ではない、という考え方である。こういうなかでinstitutionをどうやって経済学的に説明していくか、あるいは保守化している経済学と非経済学がどうやって対話・連携を図っていくかは非常に難しい状況である。だからこのプロジェクトの中で単に反新古典派というだけでなく、何か新しい経済学の方向性を示すことができればと、非常に期待している。

 日本では新古典派の経済学は危機だ、といわれ続けているが、アメリカの大学で少なくとも経済学部のなかに入れば危機どころではなく隆盛である。しかも経済学部の中でリベラルな経済学者が異端だといわれるほどに保守化・均質化が進んでいる。その中で意味のある対話の方向、institutionやorganizationなど広い意味で組織や社会の要因を組み込んだような経済学の方向を、こういうプロジェクトから開いて行かれると非常によいのではないか。

司会

 このセミナーは出版社の編集者の方々にも出席をお願いしているが、今までの報告や議論の感想を述べていただきたい。

黒田

 「喪失の10年?」という括り方でよいのかどうか疑問がある。90年代の日本を中心的な対象とするのは面白いが。こういうタイトルを前面に出すとすると、個々の連携プロジェクトで行われる、例えば実証的な研究との整合性はどうなるのか。このタイトルを使うなら啓蒙的なものを別に作ってそれに使うことも考えられる。 プロセスの公開という方針に関連していえば、現在コアを中心として5つのポイントを挙げて問題関心を重ねていこうという意図はよく分かるし後々書物にまとめていくときの編集者側の参考にもなる。

 まだ今までのところ混沌としていてイメージが固まらない、というのが正直な感想である。コアプロジェクトと複数の連携プロジェクトとで研究を進めていくという形は分かるが、本にまとめるときはどのようなものになるのか、場合によっては20冊、30冊にならないとも限らないという印象である。それらが全体として社研の共同研究としての実を共有したものになるのかどうかまだイメージがわかない。オケイジョナルにどんどんペーパーを出していって問題発見型の共同研究にする、というのも一つの形として賛成である。現在の見えにくい現象をはじめから無理に括るのではなくて、どういう方向にどういう道筋で研究を進めていっているのかが見えるものを出していく。成果の市場性ということと妥協しないでやっていくのも一つの方法である。問題発見型のものをどんどん発表していくのもリスクを伴うわけだから、こういう研究所だからこそ出来ることの一つだと思う。

大滝

 今の編集サイドの意見に賛成である。『現代日本社会』のような大鑑巨砲主義でなく、今回はユニットごとにコンパクトにまとめるなど幾つかの分冊に分け、緩い関連のあるシリーズがよい。

<文責:土田とも子>