希望学とは

希望学とは (2005)

社会科学研究所では、1964年以来、研究所員の大部分が参加して行う全所的プロジェクトを実施してきた。2005年からは、地域主義比較研究と希望学という二つのプロジェクトを開始することになった。

希望学では「希望を社会科学する」を合言葉に、希望と社会の相互関係について考察を進めていく。経済学など従来の社会科学の分野では、個人は希望を保有していることを前提に、その希望を実現すべく行動するということを、社会行動分析の基本的な視座としてきた。しかし、現代社会では、希望は与件であるという前提自体が崩れつつある。

ここ最近における日本の若年無業の増加は、景気停滞の影響のみでなく、みずからの将来目標となる希望が見出せない結果でもある。国際比較からも、日本では将来を悲観し、希望が持てないと感じる人々は多いという。ただ一方で、希望の喪失は、日本のみならず先進国に共通して広がりつつある現象という指摘もある。それらが事実とすれば、どのような社会的背景があるのだろうか。だがひとくちに希望といっても、その内容は多様であろう。だとすれば、どのような希望が、現代社会では失われ、それが個人のみならず、社会全体に何をもたらすのだろうか。

従来、希望という概念は、個人の心理や感情の一つとして捉えられることが多かった。希望学では、個人の保有する希望自体、その置かれた社会環境によって影響されるという面を重視していく。そして個々人が形成する希望が、ひいては社会全体の動向にも影響を与えていく可能性があると考え、そのあり方について検討していく。希望学では、希望を個人の性格や感情としてだけでなく、社会の産物もしくは原動力として考察していく。そのための手法として、社会調査によって得られた客観的データの分析、歴史的資料の考察に加え、実地調査に基づく希望に関する幅広い対話などに基づきながら、希望の社会科学的分析を進めていく。

一般的に多様な意味合いを含む希望であるが、その内容はいくつかの観点から類型化することは可能であろう。たとえば希望のなかには、容易に実現可能なものもあれば、実現可能性が低いものもある。また希望を実現すべく効果的な行動を伴うものもあれば、単に望むだけあって、具体的な行動には至っていないものもある。さらには個人の内的な充実にとどまる希望もあれば、個人が希望を持って行動した結果として、多かれ少なかれ、それが何らかの社会的な影響を及ぼすものまである。希望学では、希望を現在ないし未来に対する具体性を帯びた展望と見なすが、なかでも実現困難でありながら、その保有が試行錯誤を重ねながらも自らの工夫と努力によって実現に向けて歩みを進める行動プロセスを誘発し、それが結果的に何らかの社会的な影響に結びつく可能性を持つ希望を、重点的に考察していく。

希望学プロジェクトでは、2005年5月にインターネットを用いたウェブ調査を実施し、20代から40代の約900名から回答を得た。そこでは調査項目として、小中学生の頃になりたかった職業と、その後の実現状況などをたずねた。それによると、何らかの具体的な職業希望の保有が、小学6年当時で71パーセント、中学3年当時で63パーセントにのぼっていたことがわかった。このように10代前半には過半数がなりたい職業があったのだが、その希望は多く場合、実現していない。希望していた職業に実際に就いた経験がある割合は、中学3年の希望については15パーセント、小学6年の希望に至っては8パーセントにすぎない。このように子どもの頃の職業希望は実現困難であり、希望を保有すること自体、徒労であり、意味がないように思えるかもしれない。

しかし、実際には希望を持つことが、将来の職業選択に大きな影響を与えている。先の調査では、これまでのやりがいのある仕事に就いた経験の有無をたずねた。すると、小学6年当時に希望する職業があった人々の場合、86パーセントがやりがいを経験したと答えているが、希望が無かった場合には、その割合は77パーセントにとどまっている。この結果は、仕事に関する希望の保有が、将来における就業のマッチングを社会的に改善する可能性を示唆している。

希望は、それが実現困難であればあるほど、失望に終わる可能性が高くなる。しかし、そんな失望経験のなかで、自らの適性を改めて認識し、社会における自分の位置付けなどを見直すことを通じて、結果的に社会のなかでより高い充足感を得られるのかもしれない。

希望は求めれば求めるほど逃げていく。しかし、希望が失望に変わることで、初めて社会と個人の関係について適切な認識と行動が創造されることがある。かつて中国の小説家魯迅は、「絶望が虚妄であるように、希望もまたそうである」と述べた。希望には絶望と表裏一体であるというパラドキシカルな一面があり、だからこそ社会的な意味があるということは、希望学による調査研究の結果からも垣間見ることが出来るだろう。

希望学では、今後も、いくつかの大規模な標本調査を計画している。希望が、単なる将来の目的としてだけではなく、個人や社会にとって望ましい結果をもたらすプロセスを誘発するシード(種)として重要な意味を持つことを様々な視点から明らかにしていく。今年度の調査では、「仕事と希望」の関係についてより詳細な検討を行い、2006年度には「家庭と希望」をテーマとして分析を進めることを企画している。

さらに希望学では、社会標本調査だけでなく、インタビューやオーラルヒストリーを含めた「対話」による事実発見を重要視していく。その一つの取り組みとして、2006年度には、岩手県釜石市において、地域における希望の変遷について、地域住民との綿密な対話による考察を行うことを検討している。

希望学では、2005年7年にはシンポジウムを開催し、271人の参加者を得るなど、すでに多くの社会的関心を集めつつある。希望学では、その中間的成果を広く公表しながら、社会との対話によって、学問としての方向性を明確化していく。現在、コーネル大学の宮崎広和助教授らとの共同し、「希望の社会的分配に関する国際研究」も企画検討している。

以上の取り組みなどを通じて、希望学では、希望に関する普遍的な共通言語を構築し、個々が希望を考え行動するための事実に基づくヒントを提示する。そして最終的には希望を念頭においた望ましい社会政策の提案を目指し、分析を進めていく。

文責:玄田 有史

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